No.330 日本はコメのヒ素濃度の基準値を規定しなくてよいのか

・コメは農産物のなかでヒ素濃度が高い

広く知られているように,ヒ素は毒物である。1970年に公布された「農用地の土壌の汚染防止等に関する法律」によって,カドミウム,銅,ヒ素とこれらの化合物が特定有害物質に指定され,ヒ素の基準濃度は土壌1 kg当たり15 mg未満に規定されている。また, ?「水道法」および水質汚濁に係る環境基準で10 μg As/Lが定められている。

ところが,土壌から吸収された農産物中のヒ素濃度の上限値は,法的には規定されていない。法的規制値があるのは,日本では登録されていないが,ヒ素を含む農薬が散布された際の残留農薬基準値として,モモ,夏ミカン,イチゴ,ブドウ,ジャガイモ,キュウリ,トマト,ホウレンソウで1.0 ppm(1.0 mg As/kg),および日本ナシ,リンゴ,夏ミカンの外果皮で3.5 ppm(3.5 mg As/kg)と規定されている(農林水産省 (2015) )。

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農林水産省(2014)が行なった「食品に含まれるヒ素の実態調査」をみると,農産物のなかでは,コメ(玄米と精米)の総ヒ素および無機ヒ素の濃度の平均値が,小麦,野菜や果実よりも13〜77倍も高いことがうかがえる。そして,海藻類がコメよりも100倍以上も高い(表1)。

こうした食品中のヒ素濃度のデータと,厚生労働省が行なっている食品群別摂取量のデータとから,日本人の平均的なヒ素摂取量を農林水産省が計算した(表2)。その結果,総ヒ素の日本人1人当たりの1日摂取量は合計178.2μgで,その56%は魚介類,33.5%は有色野菜以外の野菜・海藻(キノコには総ヒ素濃度の高いものが存在)に由来し,6.2%がコメに由来していた。このように,海産物に由来する部分が最も多く,次いで農産物ではコメに由来する部分が最も多かった。

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・食事によるヒ素の摂取量

WHO(世界保健機関)のレポート (WHO technical report series no. 959: Evaluation of certain contaminants in food: seventy-second report of the Joint FAO/WHO Expert Committee on Food Additives 115pp )に,いくつかの国における成人1日当たり体重1 kg当たりの無機ヒ素摂取量の平均値が要約されている。飲料水がヒ素でひどく汚染された地域が存在するバングラデシュもあるが,途上国を除く,ヨーロッパやアメリカの無機ヒ素の摂取量は日本よりも少ない(表3)。これは,日本で海産物やコメの摂取量が多いことが主因となっている。海産物とコメの摂取が多い日本食は,ヒ素に関しては健康的とは言いにくいであろう。

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・コーデックス委員会でのコメのヒ素濃度上限値の設定

WHOとFAO(国連食糧農業機関)の共催による,食品の国際基準のガイドラインを策定するコーデックス委員会は,2010年にコメのヒ素濃度の最大基準値を検討することを発議し,2014年に精米中の無機ヒ素の最大基準値を0.2 mg/kg,2016年に玄米中の無機ヒ素の最大基準値を0.35 mg/kgとすることを採択した(表4)。コメのヒ素濃度の基準値は,同委員会の「食品および飼料中の汚染物質および毒物の一般基準」(General Standard for Contaminants and Toxins in Food and Feed CODEX STAN 193-1995) (2016 Ed.) にまとめられている。

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・諸外国のコメのヒ素濃度の基準値

EUはコーデックス委員会の動きを踏まえて,2015年にコメのヒ素濃度の基準を定め,2016年から施行している(Commission Regulation (EC) No 1881/2006 of 19 December 2006 setting maximum levels for certain contaminants in foodstuffs. 2017 edition)(表5)。
EUの基準は,精米については0.2 mg/kgでコーデックス委員会の値と同じだが,玄米は0.25 mg/kgとコーデックス委員会の0.35 mg/kgよりも厳しい。それに加えて,コーデックス委員会の基準にはなかった,東南アジアやアフリカなどで多く使用されているパーボイルドライス(表5の脚注参照)と乳幼児(3歳以下)用食品向けのコメについても基準を設定している。
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この他に,食品のヒ素濃度の基準としてコメについて上限値を定めている例として,オーストラリアとニュージーランドは,穀類について総ヒ素で1 mg/kg,中国は籾,玄米,精米について総ヒ素濃度の基準値を0.2 mg/kgを定めている(農林水産省,2017 )。

・日本はコメのヒ素基準濃度を規定しなくて良いのか

食品安全委員会は,2013年12月に「化学物質・汚染物質評価書 食品中のヒ素」という196頁におよぶ評価書を刊行している。この評価書を刊行する直前に,食品安全委員会は同評価書の審議結果案について意見・情報を募集し,その意見・情報とそれに対する同委員会の見解を,同評価書に添付している。その中に,次の意見と回答が収録されている。恐らく農林水産省の意見であろうが,その4つの項目のうちの3つについての記載を転載する。

『農業環境中のヒ素に関する研究に携わる立場から,研究の意義及び今後の方向性を考える上で関心を持って評価書案を拝見したところ,残念ながら,日本で食品中に含まれるヒ素を摂取することによる健康リスクの大きさや健康影響に関する懸念の有無について,食品安全委員会がどのように評価しているのか大変分かりづらかった,というのが正直な印象です。そこで,1〜4のことについて,食品安全委員会の見解をできるだけ分かりやすく回答してください。

  1. 日本人の食品を通じたヒ素の摂取に関して133頁に,「海産物中に多くのヒ素化合物が含まれており,我が国では伝統的に海藻類や魚介類を摂取する食習慣があるため,諸外国と比較して多くのヒ素を食事から摂取している」,「農産物では米からの摂取が比較的多い傾向にある」との記載があります。日本人の食生活に欠かせない海藻類,魚介類,米から摂取するヒ素による健康リスクについて,どのように評価していますか。』

これに対して,食品安全委員会は次を回答している。

『評価書(案)においては,「日本人で,通常の生活を送っている場合の推定無機ヒ素摂取量は,数種の陰膳調査による平均値で0.130〜0.674 μg/kg体重/日であり,食品安全委員会(2013) の行った調査では平均値0.315μg/kg体重/日」とし,「本評価で算定したNOAEL(無毒性量)又はBMDL(ベンチマークドースの95% 信頼下限値)の値と,推定無機ヒ素摂取量にはそれぞれに不確実性があると考えられるが,両者はかけ離れたものではない。そのため,日本人における一部の高曝露者では今回算定したNOAEL又はBMDLを超える無機ヒ素を摂取している可能性がある。」としています。なお,通常の食生活における摂取で健康に悪影響が生じたことを明確に示すデータは現在確認されておりません。海産物やお米を食べることも含めて,バランスのよい食生活を心がけることが重要と考えます。

第2と第3の意見は次のとおりである。

『2 . 153頁に,「日本人における一部の高暴露者では今回算定されたNOAEL又はBMDLを超える無機ヒ素を摂取している可能性がある」との記載があります。一方で「有害性評価結果と現在の我が国の状況とが食い違う場合には,現実の状況を踏まえることが必要である」との記載があります。1でも指摘したとおり,日本人はほぼ毎日,コメ,魚介類,海藻類を食べていますが,そういった食品を継続的に摂取している日本人の食生活において,食品から摂取する無機ヒ素に食品安全上の問題はあるのでしようか,ないのでしようか。健康影響の懸念がわずかながらあると評価しているのであれば,その理由を分かりやすく解説いただけないでしょうか。

3. 疫学調査において,無機ヒ素の摂取によるヒトの健康への悪影響が確認されているにもかかわらず,耐容摂取量などの定量的な評価ができなかった理由が明確に記載されていないように感じます。その理由を分かりやすく解説してください。』

これに対して食品安全委員会は次の回答を行なった。

『海外の飲料水がヒ素に汚染された地域の疫学調査においてヒトへの影響がみられたデータはありましたが,調査対象地域の住民が飲料水だけでなく食品全体を通じて摂取する無機ヒ素の量を正確に推定することが難しかったこと,また,調査地域と日本では生活環境が大きく異なること(日本では水道が整備されているため,飲料水からヒ素の摂取がほとんどない等)や有害性を評価するために必要な発がん性に関するメカニズムなどの知見が不足しています。そのため,海外の疫学調査をもとに,日本において,どのくらいの量の無機ヒ素が体の中に入った場合に健康への悪影響が生じるかを評価することは,困難であると判断しました。また,日本において,食品を通じて摂取したヒ素による明らかな健康影響は認められておらず,ヒ素について食品からの摂取の現状に問題があるとは考えていませんが,一部の集団で無機ヒ素の摂取量が多い可能性があることから,特定の食品に偏らず,バランスの良い食生活を心がけることが重要と考えます。今回の評価では,このように,特段の措置が必要な程度とは考えておりませんが,ヒ素に毒性があることは明らかとなっていますので,関係する行政機関では,評価書を踏まえ,これまで行ってきた食品中のヒ素の汚染実態を把握するための調査,ヒ素のリスク低減方策に関する研究等をさらに充実して取り組んでいくことが必要であると考えています。

このように食品安全委員会の意見は,一部には危険なケースも存在しうるが,一般には特段の措置を講ずる必要はないものの,食品中のヒ素の汚染実態を把握するための調査,ヒ素のリスク低減方策に関する研究等を充実させる必要があるとしている。

こうした文脈では,コーデックス委員会や一部諸外国がコメなどの食品のヒ素の上限基準値を定めているのに,日本が定めない理由が分からない。

・日本のコメは輸出できるか

日本のコメは美味しく,外国に輸出しようとする動きがある。しかし,日本では,コーデックス委員会のガイドラインに準拠したコメのヒ素濃度基準も定めておらず,コメのヒ素濃度を調べた2012年の結果(表1)で,精米の無機ヒ素濃度範囲が,コーデックス委員会の基準値の0.2 mg/kgを若干超える0.26 mg/kgとなっている。玄米の無機ヒ素濃度では,コーデックス委員会の基準値の0.35 mg/kgに対して,2012年の調査では0.59 mg/kgのものすらあった。

日本にコメのヒ素濃度についてコーデックス委員会のガイドラインに準拠した基準が規定されていて,それをこえるコメは販売禁止となっているならば,輸出に際して軋轢は生じないだろう。しかも, EUの無機ヒ素濃度の基準は,玄米についてはコーデックス委員会のものよりも厳しい。こうしたことから考えると,EUへのコメ輸出に際して一層厳しい軋轢が生じよう。

EUへのコメの輸出では,カドミウム濃度も問題になろう。環境保全型農業レポート「No.50 食品のカドミウム規制に終止符!」に紹介したように,2006年に精米のカドミウム上限値を0.4 mg/kgとするとの日本が最終承認された。しかし,これは多くの国が0.2 mg/kgとする原案を支持してい・たのに,土壌のカドミウムのバックグランドレベルが高い日本では,販売できるコメが激減してしまうため,日本が急きょ行なった動物投与試験を実施し,その結果から,精米0.4 mg/kgでも人間の健康を保護できるし,精米0.2 mg/kgと0.4 mg/kgとで比較しても食品から摂取するカドミウム摂取量には大きな違いはないと主張した。この意見について,それまで反対していたEU,エジプト,ノルウェーが反対せずに保留としたので,精米のカドミウムの基準値を0.4 mg/kgとする意見が承認された。

しかし,EUは食品中のカドミウム濃度について見直しを行ない,2009年に欧州食品安全機関European Food Safety Authority (EFSA)に出されたこの問題についての報告書も踏まえて,2014年5月に食品中のカドミウムの最大レベルを改正する規則を公布した。そのなかで,小麦粒・米粒,大豆などのカドミウム濃度の基準値を0.20 mg/kgに改正した(環境保全型農業レポート「No.255 EUが食品中のカドミウム濃度規制を一部修正・追加」)。これに対して,日本では「食品衛生法」で2010年に,それまでの「玄米中1.0 mg/kg以下」から,「玄米および精米中の濃度を0.4 mg/kg以下」のままである。

このため,特にEUに日本のコメを輸出するのは,価格問題を別にしても,ヒ素とカドミウムの点で非常に難しい。