No.262 熊本県の地下水の涵養と保全を重視した農業への取組

 

●熊本県白川中流域(大津町周辺)の地下水プール

熊本県には4つの1級河川が流れているが,熊本県のほぼ中央部を流れているのが白川である。白川は流域面積480km2,幹川流路延長74kmに達している。白川の中流部には,不透水性地層が欠落した浸透性の高い地域があり,水道用水・工業用水の全量を地下水に依存している熊本地域に,地下水涵養源として重要な位置を占めている。なかでも大津町を中心とする地域には,地下水の勾配がほとんど水平な地域があり,これを地下水プールと呼んでいる(花尻新也・市川勉 (2008) 熊本地域地下水の涵養機構と白川中流域の湛水事業の効果について.東海大学紀要産業工学部1p.60〜66 )。

地下水プールを中心に,莫大な量の地下水に恵まれた熊本地域11市町村の100万人の家庭用水はもとより,各種の施設用水,商工業や農水産業などの産業用水として,毎年約1億6000万m3の地下水が使用されている(くまもと地下水財団:熊本地域の地下水システム )。熊本県は,生活用水の8割(全国平均2割),工業用水の4割(全国平均3割)は地下水を水源としており,特に熊本地域(11 市町村,人口約100 万人)においては,生活用水のほぼ100%を地下水に依存し,現状ではこれに代わる水源はない(熊本県環境立地推進課・環境保全課 (2012) 熊本県地下水保全条例の一部を改正する条例の概要 )。

この地下水は降雨由来の天然に涵養されたものだけでなく,水田に灌漑されて用水が地下浸透して涵養された部分も大きい。花尻・市川 (2008) は,自然にまかせておけば,渇水年には地下水上昇は降雨による涵養にのみ依存することになる。しかし,水稲生産を行なっているため,水田の作付けが地下水涵養に大きく貢献しており,平年並みの降雨涵養による地下水位涵養高は約4 mだが,水田による涵養はそれよりも2 m 高い,6 m に達することを示した。

減反政策によって水稲作付が減るなかで,地下水を涵養するための湛水事業などを行なって地下水を維持していることに対して,熊本市が,2013 年国連“生命の水(Water for Life)”最優秀賞(水管理部門)を受賞した (‘Water for Life’ UN-Water Best Practices Award 2013 edition: Winners Category 1. Basin wide groundwater management using the system of nature: Kumamoto city, Japan )

●熊本県地下水保全条例

他の道県も水資源を守る条例を制定しているが,地下水を条例の名称に特記している道県は少ない。山梨県は「山梨県地下水及び水源地域の保全に関する条例」を2012年に制定したが,地下水の採取量と地下水源域の土地利用を規制していて,同時に水質を対象にはしていない。

これに対して,熊本県は地下水に大きく依存した水利用を量的側面で持続可能にするために,一定規模以上の地下水採取の届出制等を規定した「熊本県地下水条例」を,1978年に制定した。その一方,特段の浄化処理をしないでも飲料水として供給できる地下水の水質を保全するために,さらに,全国基準の10 倍厳しい排水基準を規定した「熊本県地下水質保全条例」を1990年に制定した。そして,2000年に2つの条例を一本化し,「熊本県地下水保全条例」を制定した。

(1)  しかし,同条例には不備な点があり,次の点について,2012年に改正を行なった(熊本県地下水保全条例 または 熊本県地下水保全条例の一部改正について)。

(2)  これまでの条例では,地下水の採取は届出制であり,実質的に自由に採取できた。これでは地下水の量の面からの持続可能性が懸念される。このため,地下水は「公共水」との認識に立って,管理強化策を導入した。

(3) これまでの条例では,節水および水利用の合理化,地下水涵養対策への取組みは努力義務で,水量保全のための実行を求める具体的な手段が十分ではなかった。このため,地下水量の減少を未然に防止する具体策と協働による推進策を追加した。

(4) これまでの条例では,事業場からの特定化学物質による汚染について厳しく規制しているが,硝酸性窒素汚染等の対策については規定がなかった。このため,地下水質の悪化を未然に防止する具体策と協働による推進策が導入した。

●硝酸性窒素汚染等の対策についての規定

上記の改正点のなかで特に農業とのかかわりが強いのは,硝酸性窒素対策である。改正された条文は下記のとおりである。

(硝酸性窒素等汚染対策の推進)

第21条の5

県は,地下水中における硝酸性窒素及び亜硝酸性窒素(以下この条において「硝酸性窒素等」という。)濃度の低減を図るため,事業者,県民及び市町村(以下この条において「事業者等」という。)と連携し,及び協働して,事業者が排出する水の適正な処理,肥料の適正な使用,家畜排せつ物の適正な管理,生活排水対策(水質汚濁防止法第14条の5第1項に規定する生活排水対策をいう。)の推進等を図り,硝酸性窒素等の地下への過剰な浸透の抑制に取り組むものとする。

2 県は,硝酸性窒素等による地下水の汚染が広域的に生じている地域があるときは,事業者等と連携し,及び協働して,当該地域の調査を実施し,硝酸性窒素等の濃度の低減に関する目標及び計画を定め,その実現を図るものとする。

●熊本県における地下水の硝酸性窒素・亜硝酸性窒素による汚染の概要

熊本県 (2013) 平成24年度水質調査報告書(公共用水域及び地下水)173p. 」によると,熊本県には主に農業に起因した硝酸・亜硝酸性窒素に汚染された地下水が少なくない。

都道府県知事は1989年から井戸を活用しつつ,地下水水質を調査し,その結果を環境大臣に報告している。調査のなかでは,地域の全体的な地下水質の状況を把握するための調査を「概況調査」と呼んでいる。多くの場合,都道府県をメッシュに分割し(メッシュ間隔の目安は市街地では1〜2 km,その周辺地域で4〜5 km),3〜5年で当該都道府県を一巡する仕方で調査がなされている。

地下水のモニタリング調査で硝酸・亜硝酸性窒素が基準の10 mg/Lを超過した地点については,汚染がどの範囲まで広がっているかを調べる「汚染井戸周辺地区調査」をし,汚染された地下水が検出された井戸については,毎年監視を続ける「継続監視調査」を行なっている。過去に汚染が検出された井戸のなかには,その後汚染レベルが基準値未満になって継続監視調査の対象から外れたものもある。

熊本県における2012年度の地下水質調査結果によると,合計370の井戸のうち,77の井戸から基準を超える硝酸・亜硝酸性窒素が検出された(検出率は20.8%)(表1)。このうち,基準超過の井戸が多く検出された市町村は,熊本市32,荒尾市7,山鹿市5,菊池市7,合志市5,苓北町4,上天草市3,天草市2,長洲町2,御船町2などであった。

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表1に比べて少し古いが,熊本県は2005年に「熊本地域硝酸性窒素削減計画」を策定し,その時点での当該地域における地下水の硝酸性窒素汚染分布マップ(図1)から,次の区分を行なった。

(1) 熊本市北西部(金峰山周辺):比較的狭い範囲に基準超過井戸が集中しており、硝酸性窒素濃度も高い。

(2) 熊本市北部・植木町・西合志町・合志町・菊池市(旧泗水町及び旧旭志村西部)にかけた地域:広範な範囲に基準超過井戸が集中しており、硝酸性窒素濃度も高い。

(3) 城南町南部・甲佐町北部・御船町西部の一部にかけた地域:比較的狭い範囲に基準超過井戸が点在しており、硝酸性窒素濃度は環境基準をわずかに超える程度。城南町では、平成14 年度に町内の上水道未整備区域の井戸500 本を町独自に調査を行なったところ、台地部の井戸を中心に108 本(21.6%)から,基準値を超える硝酸性窒素及び亜硝酸性窒素が検出された。

(4) 一方、熊本市南部から宇土市・富合町・嘉島町・益城町・西原村・大津町にかけての熊本地域中央部には基準超過井戸が少なく、検出される濃度も非常に低いという傾向がある.

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特に荒尾市で地下水が硝酸・亜硝酸性窒素に汚染されているケースが多いことは,環境保全型農業レポート.2004年9月1日号「環境省が刊行!主に農業に由来する地下水の硝酸汚染の実態と対策に関する事例集」に紹介した。そこで,荒尾市では農地の面積割合は28.5%だけだが,畜産が活発で,施肥,家畜排せつ物と排水の不適切な処理が原因となっていることが指摘された。しかし,家畜排せつ物を家畜排せつ物処理法に準拠して堆肥化しても,できあがった堆肥が他地域に販売できず,荒尾市内の農地に施用するしかない現実があるのであれば,過剰施用が解決できないはずである。

●「地下水と土を育む農業推進条例」の動き

2014年10月10日の日本農業新聞の記事によると,熊本県は,人類の貴重な資源である地下水と土を未来に引き継ぐことをねらった「地下水と土を育む農業推進条例」を2014年度中に成立させること目指しているという。

同記事には,具体的には(1)県民運動の展開,(2)化学肥料や農薬の低減と土づくり,(3)良質な堆肥生産・広域流通,(4)水田利用による地下水かん養,(5)地下水を育む農業を発展させる試験研究・技術の普及を推進する。また,県は地下水と土を育む農業を計画的に推進する計画を策定し,運動の展開へ県民会議を設けて情報発信する。販路拡大に向け,県産農産物を消費者が選択して購入する仕組みづくりも構築する。蒲島郁夫知事は「あらゆる恵みの源である地下水と土を50年,100年先の未来に引き継ぐため,全県的な議論を踏まえて全国初の条例化を目指す」と述べたとのことである。

しかし,硝酸性窒素汚染などを軽減し,汚染を解消するためには,基本的なことを型どおりに並べただけでは解決できない。家畜ふん尿が過剰で他地域に搬出できない地域では,EUの国々が行なっているような家畜飼養密度の制限を行なうことまで必要だろう。また,化学肥料や堆肥などの施肥量は施肥基準以下に抑えることが必要だが,現実に地下水の硝酸・亜硝酸性窒素汚染が生じている地域では,施肥基準より少ない施肥,少肥でも栽培可能な作目への転換,カバークロップによる残留肥料の吸収,地力増進作物の導入による減肥などを農業者に奨励し,その採用による減収を補償する事業の立ち上げなどが必要であろう。「地下水と土を育む農業推進条例」を成立させるのであれば,美辞麗句だけの条例でなく,水質を実際に改善できる条例にして欲しいものである。