西尾道徳「環境保全型農業レポート」
- 環境省が刊行! 主に農業に由来する地下水の硝酸汚染の実態と対策に関する事例集
- 総務省が湖沼の水質保全で農業などからの負荷削減の取組強化の必要性を指摘
1.環境省が刊行! 主に農業に由来する地下水の硝酸汚染の実態と対策に関する事例集 2004年7月,環境省は,1999~2003 年度に実施した硝酸性窒素総合対策推進事業の報告書『硝酸性窒素による地下水汚染対策事例集』(全273ページ+参考文献12ページ)を刊行した。 水田地帯以外の農村地域には,野菜や家畜生産によって地下水の硝酸汚染は深刻になっているところが少なくない。これまで農業生産にともなう硝酸汚染問題に対する取組は個別に公表されていたが,今回のように農業生産についてまとめて記述されたものはなく,注目に値する。 ●面源(非特定)負荷汚染 環境省が毎年全国で行っている地下水の水質汚染調査では,地下水の硝酸濃度が環境基準(硝酸+亜硝酸性窒素で10mg/L)を超えているケースが全体の5~6%に達している。そして,農業や生活排水など,濃度は低いものの,排出面積が大きいために総排出量が大きくなる面源汚染が,汚染の主因になっているケースが少なくないことが既に指摘されている。こうした面源汚染に対する認識や取組が遅れているため,環境省では,面源負荷汚染に対する認識を高めるとともに,自治体などが対策を講ずる際の参考として刊行したのである。 この事例集は4つの部分から構成されている。 (1)47都道府県と,水質汚濁防止法で定められた98の政令市(水質汚濁防止法施行令において都道府県知事権限の事務の一部を行うことを指定された市)に対して環境省が行った地下水の硝酸汚染に対する現状認識に関するアンケート調査の結果 (2)4つの県と1つの市に委託し,農業が主因となって深刻な地下水汚染が生じている地区について,その汚染の実態と原因を解析し,連絡調整会議を作ってもらってどのような対策を講じたかの報告 (3)地下水の硝酸を除去する技術の実証試験の報告 (4)日本および欧米における硝酸汚染の実態と対策の概要 ●アンケート調査結果 アンケート調査のなかで,「地下水の硝酸汚染が生じており,対策を講ずるとすれば,地域一体としての対策の必要」と,都道府県が考えている地域数が注目される(表)。 ここで回答対象となった地域は,上水道が設置されていないために住民が汚染された地下水を直接飲用している場合や,地下水を上水道の水源にしていて,その地下水が硝酸で汚染されている場合である。したがって,硝酸に汚染された地下水があっても,飲用にしていなければ,回答対象になっていない。このため, 表の結果は,汚染された地下水が存在する地域数を表すものではない。また,地域の大きさも一様でない。こうした条件のもとだが,一体的対策の必要と考えられている地域数が,北海道,茨城県,千葉県,熊本県で群を抜いて多いことが注目される。
以下に自治体における対策事例を紹介しよう。 ●事例1 … 青森県 施肥量半減の施肥改善など 青森県では,県南地域に基準を超える硝酸の検出される地下水が多く,高濃度の硝酸が検出された五戸町のうち,上水道のないために井戸水を利用している地区(順礼森地区)とその周辺地区を対象とした。 100mを超える深井戸は硝酸で汚染されていないものの,63%の井戸から基準を超える硝酸性窒素が検出され,最高は48mg/Lであった。各種の負荷源からの窒素負荷量を推定し,農地が汚染の主因と推定された。五戸町,JA,青森県で設置した連絡調整会議は,当該地域で栽培の多い,ナガイモ,ニンニク,キュウリのうち,特に後2者の施肥量が基準施肥量を大きく超えており,堆肥を含めた施肥量を約半分にする施肥改善,土壌診断,肥効調節型肥料の使用,堆肥舎の整備などを農業改良普及センターが指導し,啓発することを対策とした。 ●事例2 … 静岡県 生産履歴簿の作成義務化 静岡県では,チャ園への多肥によって地下水の硝酸汚染の生じている清水市(現静岡市)広瀬地区の36.5haを対象とした。 当該地区の土地利用は,尾根部のチャ畑22.5%,斜面のミカン畑10.4%,裸地・草地・林地が67.1%となっている。当該地区の窒素収支を計算すると,窒素負荷量の約7割がチャへの施肥に由来し,施肥した窒素の5~7割は作物に吸収されずに流出していると推定された。こうした結果を踏まえ,連絡調整会議は次の対策を講じた。 (1)JAがチャ栽培農家に対して生産履歴簿の作成を義務化した。 (2)静岡県農業水産部研究調整室が2002年に「静岡県施肥由来の硝酸性窒素及び亜硝酸性窒素に係る水質汚染等対応指針」を策定し,この指針に基づき、調査等によって施肥由来の水質汚染が判明した場合には早急に改善策を実施することとした。 (3)2002年に県の施肥基準を改訂し,チャへの施肥量を窒素成分量で54kg/10a以下に統一し,全県で施肥削減に向けた取組みを実施した。当該地区でも減肥が既に始まっているが,地下水の硝酸濃度に減肥の効果がでるまでには10年程度を要すると推定された。 ●事例3 … 長崎県 エコファーマー参加促進など 長崎県では,地下水の硝酸汚染の多い島原半島のなかでも特に汚染の顕著な国見町と有明町を対象とした。当該地区で環境基準を超える井戸水の割合は2001年度で82%,2002年度で52%,最高濃度はそれぞれ29と36mgN/Lであった。 町の全面積のうち農地が40%を占めており,その内訳は,畑26%,水田13%,果樹園1%である。畑作物では飼料作物,バレイショ,ダイコン,ニンジンなどの栽培面積が多い。また,畜産も活発で,負荷源のなかで家畜排せつ物による窒素負荷が最も多く,施肥による負荷量の約3倍に達すると推定された。そして,糞便性大腸菌が検出された井戸水もあった。連絡調整会議は,エコファーマーへの参加の促進,畜産農家による家畜ふん尿の適正処理の一層の徹底などを推進した。 ●事例4 … 熊本県 窒素負荷のマップを作成 熊本県は地下水が豊富で,県の水道水源の約8割を地下水に依存している。県は,特に硝酸汚染の顕著な荒尾市を対象にした。 当該地域では深さの異なる3つの帯水層(地下水層)があり,最も浅い帯水層の平均硝酸性窒素濃度は20.4mg/Lとなっているが,最も深い層はまだ汚染されていない。市街地面積が大きく,農地の面積割合は28.5%だけだが,畜産が活発で,施肥,家畜排せつ物と排水の不適切な処理が原因となっている。当該地区を細かく区分して,様々な負荷源からの窒素負荷量を計算したマップを作成した。その結果,当該地区全体での平均窒素負荷量は18.6kg/ha・年だが,100kg/ha・年を超える場所も存在することが明らかになった。 連絡調整会議は,地下水汚染の状況の理解,汚染原因の理解,施肥基準の遵守,家畜ふん尿の適正処理の徹底,意識改革などを軸とした対策計画を作成して実施した。 ●事例5 … 宮崎県(都城市) 地下水硝酸汚染のシミュレーション作成 宮崎県都城市では上水道の普及率が高いものの,水源を地下水に依存している。地下水の硝酸汚染が進行し,基準を超える硝酸性窒素の検出された井戸の割合は,市全体の平均で約14%,特に志和池地域では42%に達している。都城市では畑地の分布と高濃度の硝酸性窒素濃度分布地域に高い相関が得られており,汚染の主因は,畑に施用した家畜ふん堆肥や野積み・素堀の家畜排せつ物に由来する窒素と推定される。 様々な負荷源からの窒素負荷量と水量を推定して,地下水の硝酸汚染のシミュレーションを宮崎大学工学部が行った。モデルの精度をさらに向上させることが必要だが,当該地域では堆肥の施肥量が県の施肥基準の2倍程度と見込まれており,これを基準量に是正するだけで,農地由来の負荷を大幅に削減できると予測された。しかし,都城市の家畜排せつ物量は年間100万t程度で,現状でも窒素負荷が過剰となっており,堆肥以外での有効利用や系外への流通も含めた施策実施が必要となっている。農業が基幹産業となっているため,農業が地下水汚染の原因であることすら当初公表できない状況であったが,説明会など情報公開に努め,井戸水調査などへの住民の協力が得られるようになった。今後,納税者である市民に情報公開をしつつ,市税を投入して行う対策事業の事業評価も行って,市民の理解を得ることが大切である。 ●地下水の硝酸除去技術 2つの技術の実証試験を行った結果が報告されている。 一つは,ニンジンへの過剰施肥によって水道水源の地下水が汚染された岐阜県各務原市に設置した装置である。施肥改善によって地下水汚染は顕著に減少したが,施肥削減だけでは地下水の硝酸濃度をあるレベル以下にすることが難しい。そこで,地下水層に硝酸を窒素ガスにして揮散させる脱窒菌を付着させた装置を埋設して,硝酸濃度の削減を試みた。 もう一つは,福岡県南部地域のチャ園地帯の硝酸で汚染された地下水をいったん汲み上げて,電気透析装置を通過させて硝酸を濃縮し,次いで,硝酸を脱窒装置で除去する方式である。 両者とも未完成の技術で,前者では効率的な除去を十分実証できたとはいえない。後者では水質基準以下に濃度を下げることができたが,コスト的に実用化できるとは思えない。このような法外なコストのかかる対策を講ずるよりも,農業から過剰な硝酸を排出することを削減すること方が現実的であろう。 ●日本および欧米での硝酸汚染の実態と対策の概要 その他の対策技術として,宮古島での地下水汚染の原因究明と対策の事例を紹介している。これに加えて,農業による硝酸の地下水汚染の全体を理解する参考として,面源負荷全般について,その特徴,解析の仕方,農業による負荷削減対策の概要,EUを含めた農業による負荷に対する法制度の概要などを解説している。 | ▼地下水汚染に関連した『農業技術大系』の記事を検索するにはこちら → | 2.総務省が湖沼の水質保全で農業などからの負荷削減の取組強化の必要性を指摘 1984年に湖沼水質保全特別措置法が公布されて20年が経過した。しかし,全国的に水質環境基準を達成していない湖沼が多く,全体として水質の悪さは横ばい状態にある。同法によって,基準を下回り,水の利用状況や汚染の経過などからからみて,総合的な水質保全対策を講ずる必要のある湖沼を「指定湖沼」,その集水域を「指定地域」として,環境大臣が指定することになっている。現在,霞ヶ浦,印旛沼,手賀沼,琵琶湖,児島湖,諏訪湖,釜房ダム貯水池,中海,宍道湖,野尻湖の10の湖沼が指定されている。指定湖沼の存在する都道府県の知事は,5年ごとに湖沼水質保全計画を作成して,期間ごとの方針を立て,必要な規制を行うとともに,汚染原因となっている下水やし尿の処理施設の整備,浚渫,その他の湖沼の水質保全に必要な事業を実施しなければならない。 これまで20年間に4回の湖沼水質保全計画が実施されながら,指定湖沼の水質悪さが横ばい状態にあるのは,どこに原因があり,どのような改善が必要なのだろうか。 ●湖沼汚染の実態と対策のアンケート結果 総務省は2002年12月から2004年6月にかけて,関係省(総務省,厚生労働省,農林水産省,経済産業省,国土交通省,環境省),関係道府県,市町村,事業者,NPO,住民,関係団体から聞き取りとアンケートを行って,10の指定湖沼と抽出した18の非指定湖沼について,これまでの汚染状況の推移,湖沼水質保全計画の内容,事業の実施状況などを調査した。その結果をもとに,2004年8月に『湖沼の水環境の保全に関する政策評価書』を公表し,改善のための意見を提示した。同評価書は,資料を含めて全139ページで,http://www.soumu.go.jp/s-news/2004/040803_3_h.htmlから入手できる。 湖沼の水質基準のうち,COD(化学的酸素要求量:有機物濃度の指標),全窒素と全リンの濃度について,指定湖沼の2002年度での達成状況をみると,わずかに琵琶湖(北湖)と諏訪湖で全リン濃度が達成されただけである。そして,指定湖沼について,県が5年ごとに策定したこれまでの湖沼水質保全計画のうち,期間内の目標を達成できたのは,CODで2湖沼,全窒素と全リンで3湖沼ずつに過ぎず,計画がほとんど達成されていない。こうしたことから計画自体の妥当性も疑問になる。 ●湖沼への負荷発生源と対策の現状 湖沼への負荷発生源は,特定汚染源(点源)と非特定汚染源(面源)に大別される。前者は工場,下水処理場,畜産事業所など,比較的高濃度の排出を行う施設である。後者は,低い濃度だが,広い面積から排出する農地,山林,市街地雨水排水などである。総務省が各種資料からまとめた結果(指定湖沼の発生源別の負荷量の全窒素に関する推定値を表1に示す)によると,指定湖沼によって各発生源の割合は異なり,霞ヶ浦,手賀沼,児島湖では特定汚染源が57~79%を占めるが,他の指定湖沼では非特定汚染源が51~93%を占めている。非特定汚染源のうち,生活系(生活排水)が過半を占めている手賀沼と児島湾や,自然系(山林などからの排水)が大部分を占めている野尻湖などもある。しかし,霞ヶ浦,印旛沼,琵琶湖,諏訪湖,中海,宍道湖では,生活系に加えて,畜産・水産系(畜舎・養殖場)+農地系も大きな割合を占めている。 計画には,下水道,家畜排せつ物,他の廃棄物の処理施設の整備に関する事業と,その他の対策が盛り込まれている。しかし,どの指定湖沼でも事業費の大部分は汚水処理施設の整備に投入されている。例えば,霞ヶ浦では,1985~2002年に投入された事業費の89%が特定汚染源対策に投入されている(汚水処理施設整備74%,廃棄物処理施設整備14%,家畜排せつ物処理施設整備1%)。しかも,税収逼迫から計画が遅れ,指定地域全体の人口の21.2%には汚水処理施設による処理がなされていない。そして,負荷割合で過半を占めるケースの多い非特定汚染源対策には,ほとんど事業費が投入されていなし,対策の記述も定性的で,放任に近い状態になっている。この原因は,市街地や農地からの負荷については,認識不足であったこと,有効な対策が確立していないこと,非特定汚染源にまで対策を講ずる財政的ゆとりがないことを,行政担当者が述べていることを指摘している。 ●総務庁「政策評価書」の結論 こうした実態を踏まえて,政策評価書は下記の意見を結論としてまとめている。 (1)湖沼に流入する負荷や湖沼内で発生する負荷の機構の解明や実態の把握が政策の基礎になるが,これらが十分でない。その的確な解明や把握の推進を図ること。 (2)指定湖沼の水質改善の基盤になるのが水質保全計画であるが,負荷量の把握も技術的に不十分であり,計画に掲げた水質改善目標値と実態が乖離し,目標を達成できていない。的確な水質保全計画を作成して,それに基づく施策を着実に実施すること。 (3)非特定汚染源からの負荷についてほとんど対策が講じられてない。非特定汚染源からの負荷に対する有効な対策を検討し,着実に実施すること。 (4)なお指定地域の人口の21.2%については汚水処理施設の整備が不十分であり,水質保全計画に基づいて整備を進めるとともに,なお不十分な農村集落排水処理施設や単独浄化槽の浄化能の改善を図ること。 (5)永年の政策実施にもかかわらず,事態の改善がみられないことから,これまでの施設整備や規制に加えて,排出権取引などの経済合理性に基づいた政策の導入も検討すること。 なお,排出権取引は,温室効果ガスの削減で実施され始めたが,アメリカでは水質汚染にも導入されている。例えば,ある河川に排水を流している工場が基準を達成できないが,周囲の農業地帯が基準以下しか排出していないとする。そして,農業地帯の超過達成分が工場の基準超過分以上になり,両者の和が河川への総負荷許容量以下になる場合は,工場が農業者に金を払って排出権を買い取り,基準を超えた一定の排出を認めてもらう。 総務省の政策評価は,かつて総理府が行っていた行政監察を,中央省庁再編を契機に発展させたもので,ここで指摘された事項には確実に対応することが求められる。したがって,農地などの非特定汚染源からの負荷については,より定量的な実態把握とその手法の開発,負荷削減の有効な方策の検討,ならびにその着実な実施が求められると考えられる。
| ▼湖沼の汚染に関連した『農業技術大系』の記事を検索するにはこちら → | 西尾道徳(にしおみちのり) 東京都出身。昭和44年東北大学大学院農学研究科博士課程修了(土壌微生物学専攻)、同年農水省入省。草地試験場環境部長、農業研究センター企画調整部長、農業環境技術研究所長、筑波大学農林工学系教授を歴任。 著書に『土壌微生物の基礎知識』『土壌微生物とどうつきあうか』『有機栽培の基礎知識』など。ほかに『自然の中の人間シリーズ:微生物と人間』『土の絵本』『作物の生育と環境』『環境と農業』(いずれも農文協刊)など共著多数。
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