No.227 EUの硝酸指令の技術的基盤は脆弱

●硝酸指令の概要と問題点

EUは農業に起因する地下水と地表水の硝酸汚染と富栄養化を軽減・防止するために,1991年に硝酸指令を施行している(環境保全型農業レポート.「No.84 EUの第3回硝酸指令実施報告書」参照)。

この法律で,加盟国は,硝酸汚染と富栄養化が生じているか,そのおそれのある地下水や地表水のある集水域を硝酸脆弱地帯に指定し(国全体を脆弱地帯に指定してもよい),脆弱地帯内の農業者には,硝酸汚染や富栄養化を防止するために国が定めた行動計画を守ることを義務として課している。

加盟国は行動計画で,(a) 窒素の総投入量(家畜ふん尿+化学肥料)を,土壌やその他からの供給量も考慮して,作物要求に合わせ,適正施肥を行なうこと,(b) 家畜ふん尿の最大還元量を170 kg N/haにすること,(c) 作物の生育できない冬期間における家畜ふん尿の施用を禁止し,その間のふん尿を貯留できる施設を整備すること,(d) 地下水や地表水を汚染しやすい場所や時期に,肥料やきゅう肥を施用しないことなどについて,規準を定めている。そして,硝酸脆弱地帯外の農業者には,国の定めた硝酸汚染と富栄養化の防止のための優良農業規範を,自主的に守ることを要請している。

すなわち,加盟国は行動計画のなかで,農地に施用する肥料量を規制する条項を設けなければならず,その設定に際しては,作物の窒素要求量,作期開始時点での土壌中の可給態窒素量,土壌有機物,家畜きゅう肥や化学肥料などの肥料から追加される可給態窒素量を考慮に入れることが規定されている(表1)。

こうした厳しい硝酸指令の施行によって,家畜生産農場については年間の家畜ふん尿窒素量を170 kg/ha以下にするために,家畜飼養密度に上限が設けられて,上限を超える家畜ふん尿分は,家畜頭数の削減や,ふん尿を耕種農場へ引き渡すことによって,家畜ふん尿に起因した水質汚染はかなり改善された。

しかし,耕種農場や家畜生産農場の飼料作物では,170 kg N/ha以下の家畜ふん尿資材に加えて化学肥料窒素を施用して作物を生産する際に,家畜ふん尿資材から供給される可給態窒素量とその作物による利用率をきちんと把握して,作物要求量を超えないように窒素施用を行なう必要がある。しかし,この点についての科学的把握が実はいい加減なために,その後の水質改善は思うほど前進しなくなっている。

このため,EUのヨーロッパ委員会は,硝酸指令による改善効果を高めるにはどうしたら良いかを問題にしている。例えば,硝酸指令は家畜ふん尿の最大還元量を170 kg N/haに規定しているが,家畜ふん尿窒素のうち作物に利用される割合(利用率)は,ふん尿の形態(スラリー,堆肥,乾燥ふん)や混合物(敷料や吸水材)の有無,施用の仕方などによって違ってくる。家畜ふん尿Nの利用率がいい加減だと,窒素の総投入量(家畜ふん尿+化学肥料)を作物要求に合わせて適正施肥を行なうことができなくなり,汚染を引き起こしかねない。

そこで,ヨーロッパ委員会は,加盟国が行動計画や優良農業規範のなかで,規定にしたがって施肥量を正しく策定する上で必要な家畜ふん尿Nの利用効率を考慮しているかを調べ,その問題点を摘出し,硝酸指令の施行で改善すべき点を摘出することを試みた。そして,その具体的調査をイギリスのAEA テクノロジー(*)に委託した。その報告書の概要を紹介する。

*AEA テクノロジー:当初,イギリス原子力公社の核関連研究の民営化部門として発足し,現在はエネルギーと環境の部門の研究を受託する調査・シンクタンクとして活動。

J. Webb, Peter Sørensen, Gerard Velthof, Barbara Amon, Miriam Pinto, Lena Rodhe, Eva Salomon, Nicholas Hutchings, Piotr Burczyk and Joanne Reid (2010) AEA Technology plc: Study on variation of manure N efficiency throughout Europe. p.114. ENV.B.1/ETU/2010/0008

この報告書には2つの付属書がある。

Annex 1: Examine the current applicable manure-N efficiency rates in the EU 27 by studying literature and contacting research centres /competent administrations in the MS. 142p.

Annex 2: Assess the efficiency rates in function of environmental and climatic conditions and agricultural practices. 7p.

●家畜ふん尿資材の分類

調査では,EUの有機農業実施規則で規定されている家畜ふん尿資材の分類を使用した(表2:環境保全型農業レポート.「No. 212 EUの有機農業における家畜飼養密度と家畜ふん尿施用量の上限」も参照)。このため,調査結果を示した表で,「スラリー」は「液状動物排泄物」の意味であり,「固形」は「きゅう肥」,「乾燥きゅう肥と脱水家禽ふん」と「堆肥化した動物排泄物」を合わせたものである。

●家畜ふん尿N利用に関する用語

調査では次のように用語を定義している(Nは窒素)。

(1) 可給態N割合:施用当年に作物が吸収可能な家畜ふん尿中のN(無機態Nと家畜ふん尿Nの有機態画分から,直ぐに無機化されるN)の割合

(2) 作物吸収可能N割合:家畜ふん尿施用後のアンモニア揮散や硝酸溶脱などのロス分を除く,作物の吸収可能なNが可給態Nに占める割合

(3) 化学肥料相当N量:家畜ふん尿Nのうち,化学肥料と同等の肥料効果を有するN量

(4) 家畜ふん尿N利用率:施用当年とその後の期間に作物によって回収可能な,家畜ふん尿Nの割合

実際の施肥量の計算で使うべきは,家畜ふん尿N利用率だが,これを設定するには実際には面倒な実験データの集積が必要である。ヨーロッパではスラリー施用が多いので,翌年以降の残効をあまり考えずに,化学肥料と同様に,施用当年に利用可能なNだけですませているケースが多い。

●家畜ふん尿N利用率設定の実態

加盟国に質問状を送付し,それに寄せられた回答を整理して,いろいろな問題点についての実態を調査した。回答をみると,自国の行動計画や優良農業規範のなかで,家畜ふん尿N利用率について特に論及している加盟国はなかった。

報告書はEU27か国について報告しているが,以前から加盟している旧15か国に限定して紹介する。報告書の付属書1によると,行動計画や優良農業規範のなかで,家畜ふん尿N利用率に論及・定義を行なっている加盟国は,次のようであった。

(1) 家畜ふん尿N利用率の論及・定義していなかったのが,オーストリア,ベルギー(ワロン),ドイツ,ルクセンブルク,ポルトガル,スペインの6か国。

(2) 化学肥料相当N量をベースにして家畜ふん尿N利用率を考慮したのが,ベルギー(フランデレン),デンマーク,フィンランド,オランダの4か国。

(3) 可給態N割合をベースにして考慮したのが,イギリス,ギリシャ,アイルランドの3か国。

(4) 家畜ふん尿のN濃度とC/N比をベースにして考慮したのがフランス。

(5) 家畜ふん尿N利用率の考慮について回答しなかったのがスウェーデン。

家畜ふん尿N利用率を論及・定義していない国であっても,多くの国が,施用当年に作物が吸収可能な可給態N割合については回答を寄せており,それをまとめたのが表3である。報告書は,可給態N割合をもって,施用当年における家畜ふん尿Nの利用率とみなすことができると記述している。しかし,これは用語の定義からいえば,可給態N割合は家畜ふん尿N利用率ではないので,誤りである。

こうした無理がある上に,報告書が使っていない表現を使えば,可給態N割合ですら,かなりずさんに設定した加盟国があることがうかがえる。例をあげると,スラリーに比べて固形家畜ふん尿資材の可給態N割合は,例えば,オーストリアのように,かなり低いはずである。しかし,アイルランド,イタリア,ルクセンブルグ,オランダ,ポルトガル,スウェーデンは,スラリーと固形に類似した値を設定している。

家畜ふん尿資材と化学肥料を合わせた施肥量を計算する際には,家畜ふん尿N利用率の設定が必要だが,この利用率は様々な要因で変動する。そうした要因をどの程度考慮しているかをまとめたのが,表4である。対象とした7つの要因を全て考慮しているのはスウェーデン1国のみ,6つを考慮しているのがイギリスとイタリア(ロンバルディ)の2国のみというように,あまり正確な計算をしていないことがうかがえる。

●戦略的配慮事項

こうした実態を踏まえて,報告書は,家畜ふん尿や肥料から無駄に溶脱・揮散する窒素をできるだけ少なくし,硝酸指令施行の効果を高めるために,次の事項を戦略的事項として考慮することを記している。

家畜ふん尿Nからの長期にわたる可給態Nの放出を完全に考慮することになっている。しかし,現時点では加盟国の大部分は最初の年の放出を考慮しているだけで,輪作過程にわたる可給態Nの放出量を過少評価している。このことから,家畜ふん尿を施用した当作における化学肥料相当N量だけでなく,輪作過程にわたる家畜ふん尿Nの長期の利用率を考慮することが必要である。土壌中におけるNの無機化は1年の大部分を通じて起きているので,残効効果は生育期間の長い作物ほど大きくなる。

土壌に混和・注入施用する際に,土壌タイプの影響をしっかり考慮している加盟国はほとんどない。土壌タイプを考慮することによって,化学肥料相当N量での推定値の精度を向上できよう。

天候は,Nロスをなくす試みとして,家畜ふん尿施用の禁止期間の設定についてだけ考慮されている。作物による家畜ふん尿Nの吸収に対する,生育期間中における天候の影響を考慮している加盟国はない。

スラリーを牧草の生育期間中に間隔を置いて施用する際には,遅く刈り取る牧草では,生育量やN吸収量が少ないのに加えて,春よりも秋のほうがより暖かな条件のためにアンモニアの揮散量や脱窒量が多く,また,枯死にともなう根に組み込まれたNの不動化のために,1番刈り(春)ほどN利用率が高くない。遅い時期に施用する家畜ふん尿Nの施用量を,次第に減らすことによって利用率が向上する。最も効率的な家畜ふん尿Nの施用は,生育期の初期に120 kg N/haまでを施用し,作物要求量に不足する量は肥料Nを使って満たすことである。

家畜ふん尿施用の禁止期間については,さらなる改善を図れる余地はほとんどないと結論できよう。しかし,いくつかの加盟国では,秋の冬作物の播種前に家畜ふん尿を施用するのを回避することによって,硝酸溶脱をさらに減らせている。また,いくつかの加盟国は,既に全ての家畜ふん尿の秋と冬期における施用を禁止している。

●おわりに

硝酸指令は,家畜ふん尿窒素の還元量を年間170 kg/haを以下に制限した点で画期的な法律である。この数値によって,硝酸脆弱地帯とそれ以外の地帯の家畜の飼養密度が明確に制限されるようになった。しかし,耕種農場や家畜生産農場における作物生産における施肥管理についての規制が,実は手抜きであることが明らかになった。

特に堆肥のように,施用当年に大部分の可給態窒素が放出されずに,翌年以降にも放出され続ける資材では,規制が難しい。EUでは堆肥利用がまだ少ないために,この面での対応が研究面でも法的規制の点でも大きく遅れている。他方,日本では,家畜の飼養密度と養分施用量の双方に対して,有機畜産の場合を除き,何らの法的規制も設けられていない。