No.99 茨城県の「エコ農業茨城」構想

●茨城農業改革大綱

 茨城県の農業産出額はかつて全国2位であったが,近年その順位を下げた。茨城県の橋本知事は,茨城農業の再生を図るために,2002年1月に有識者からなる「いばらき農業改革研究会」を設置した(座長は故松本作衛元農林水産事務次官)。茨城県は大消費地の東京に近い地の利もあって,しばらく前までなら農産物は作れば売れたが,最近では品質・作目・出荷時期などを消費者ニーズに合わせることをややもすれば忘れていた側面も少なくなかった。こうした反省に立って,「いばらき農業改革研究会」は「消費者のベストパートナーを目指す茨城農業」を農業再生の中心に置いた中間報告を2003年2月に知事に答申した。

 茨城県はこれを受けて,2003年度から「いばらき農業元気アップ作戦」を実施し,県内の各地の市町村で農業者や農業団体関係者などを集めて啓蒙活動を開始した。そして,最終答申である「茨城農業改革大綱〜消費者のベストパートナーとなる茨城農業の確立」が2004年2月に答申された。

 「茨城農業改革大綱」では,環境にやさしい農業の推進も,農業改革の基礎となる条件として,その重要性が特記されている。しかし,「大綱」では,エコファーマーの取組強化を掲げつつも,環境にやさしい農業への取組強化の具体化は先送りにされたといえる。

●「エコ農業茨城」構想と「農地・水・環境保全向上対策」のかかわり

 茨城農業改革は,2003年度からスタートして2010年を目標達成年度に設定しており,後期の2007〜2010年度を改革進展期としている。茨城県は2007年3月に2007〜2010年度の年次計画を策定したが,そのなかで,『環境保全と農業との関わりについての方向性を整理し,本県農業のイメージアップにつながる「エコ農業茨城」の導入を検討』や,「農地や農業用水の保全と一体となった地域ぐるみの環境に配慮した農業の推進」という項目を特記した。そして,橋本知事は2007年4月に「エコ農業茨城」構想専門委員会を設置して,「エコ農業茨城構想」の基本的な考え方を諮問した。

 この専門委員会を設置するに至った直接の背景,つまり,「エコ農業茨城構想」の骨格となったものは,農地・水・環境保全向上対策(環境保全型農業レポート.No.54.対象範囲の狭い農地・水・環境保全向上対策)である。

 農地・水・環境保全向上対策では,まず,基礎支援として,集落など一定のまとまりを持った地域において,農業者だけでなく非農業の地域住民などが参画する活動組織を設置し,活動協定を定めて,社会共通資本である農地・農業用水などの資源を適切に保全する活動に一定の支援を行なう。そして,基礎支援に上乗せする形で,他の支援が追加される。つまり,基礎支援対象地域内の活動組織に参加している農業者が,協定に基づいて環境負荷低減に向けた取組を共同で行ない(営農基礎活動支援),その上で地域内で相当程度のまとまりを持って,持続性の高い農業生産方式として指定された技術を導入したり,化学肥料と化学合成農薬を地域の慣行よりも原則5割以上削減したりするなどの先進的な取組を実践する場合(先進的営農支援)に支払が行なわれる。

 「エコ茨城農業構想」は2007年12月26日に知事に答申されたが(「エコ農業茨城」構想専門委員会 (2007)「エコ農業茨城」構想専門委員会提言),農地・水・環境保全向上対策による国の支援金に,さらに県の支援金を上乗せして推進しようとするものである。

●「エコ農業茨城」構想

 「エコ農業茨城」構想は,茨城県全県で集落(全県で3,800)などを単位とする地域ぐるみで,農村での環境保全活動と,環境にやさしい営農活動を一体的に進めようとするものである。そして,

 (1)良質で安心できる農産物を持続的に供給できる生産基盤の保全

 (2)霞ヶ浦など水域の水質保全

 (3)平地林などが保全され,生態系に恵まれた,豊かで美しい農村環境の創出と活用

を,目指すべき目標としている。「エコ農業茨城」の活動によって,「茨城の農村は美しい景観を有し,そこで展開される農業は環境にやさしく,生産される農産物は健康に良い」というイメージを醸成して,そのことを県内外に情報発信し,基準に従って生産された農産物に「いばらきエコ農産物」のラベルを付けて,付加価値を有する農産物として販売しようとするものである。

 「エコ農業茨城」を推進するために,2007年度から全県で,集落などを基本単位とした活動組織を結成して,農業資源や農業環境の保全の観点から,農業用施設の点検,遊休農地の状況把握,栽培方式の見直しなどを総点検する。その総点検の結果を踏まえて,地域の環境保全活動と環境にやさしい営農活動を一体化した取組を開始することになるが,取組の度合いに応じて,エコ農業開始地区,展開地区,優良地区の三段階を設ける。

 エコ農業開始地区:できるだけ多くの地域が取り組めるように,地域の農業者等が環境保全活動や農業生産に関して協議する組織体制を整え,最低限取り組むことについて,合意ができた地区を開始地区とする。

 エコ農業展開地区:地域ぐるみで取り組む活動に加えて,総点検活動の結果に沿って平地林などの林野の整備や,化学合成農薬および化学肥料を慣行の50%以上削減した農業生産等が,部分的に行われている地区を展開地区とする。

 エコ農業優良地区:環境にやさしい営農活動が面的に拡大するとともに,地区での取組の成果が,水質,生物モニタリング調査や都市農村交流参加者の満足度調査等によって,客観的に評価される地区とする。

 この3つの地域でのエコ農業の取組度合い評価する客観的な地域評価認定制度を設けて,環境保全への地域的な取組が,消費者,都市住民などに認知・信頼されるようにする。環境保全活動には民間企業,NPOなどの参加を積極的に求めるとともに,環境にやさしい営農活動の技術指導を強化する。そして,「点」的な取組を「面」的に拡大するため,環境にやさしい営農活動にかかる生産費の掛かり増し経費に対して支援を行なう。

●具体化に際しての問題点

 (1) 時間が足りるか?

 「エコ農業茨城」構想は枠組を決めただけで,構想に基づいて,今後,県は具体的施策を盛り込んだ「エコ農業茨城推進基本計画」を策定して,事業展開を行なうことになる。「エコ農業茨城」は2007〜2010年度に実施することになっており,構想に記述された「エコ農業茨城推進基本計画」や地域評価認定制度,さらにはこれらを施行する際の営農行為の具体的基準などを早急に策定しなければならない。まもなく2008年度に入り,残りの期間は3年間しかない。時間的に間に合うかの不安がある。

 (2) 霞ヶ浦などの水質保全との関連づけ

 「エコ農業茨城」構想が茨城県らしさをもつためには,茨城県の主力農産物について,霞ヶ浦,涸沼などの水域の水質保全を図る具体的な営農行為基準(あるいは規範)を明示して,環境と生産の双方を両立させることが大切になる。

 なかでも霞ヶ浦は指定湖沼で,その水質浄化が大きな課題になっている。2005年6月に「湖沼水質保全特別措置法の一部を改正する法律」が成立し,農地・市街地からの流出水対策が必要な地域を,新たに「流出水対策地区」に指定し,「流出水対策計画」を策定のうえ,対策措置を進めることができるようになった(環境保全型農業レポート.No.36.流出水への監視強化へ)。そして,環境省は2006年度から3年間,指定湖沼の汚濁負荷量推計方法を調査する「流出水対策推進モデル計画策定調査」を霞ヶ浦などの指定湖沼で実施している。

 こうしたことから,霞ヶ浦周囲に「流出水対策地区」を指定して,その地域内では環境負荷レベルを地域外よりも少ない農業行為を基準とし,その実施に要する生産費の掛かり増し経費を多くする方策が考えられる。

 上述したように,エコ農業優良地区は,地区での取組の成果が,水質など客観的に評価される地区とすることになっている。しかし,湖沼への流出量を減らす農業行為を実践しても,過去に排出されて底泥に沈殿した栄養塩類が強風などで舞い上がって,湖沼の水質が短期間に改善されることは期待しにくい。このため,湖沼の水質改善で評価するのでなく,農地からの栄養塩類の排出削減量を計算できるようにすることが大切となろう。

 (3) 特別栽培農産物の生産基準

 「エコ農業茨城」構想では,化学合成農薬および化学肥料を慣行の50%以上削減した特別栽培農産物などの生産を目指している。現在の特別栽培農産物の生産基準では,化学肥料については窒素肥料の施用量を慣行の5割以下に抑えることだけが求められているに過ぎず,その他の有機質資材やリン酸肥料の施用量については何らの規制も求められていない(環境保全型農業レポート.2004年7月1日号.特別栽培農産物の条件設定とその問題点)。

 化学肥料窒素を減らしても,有機質資材を安易に施用すれば,かえって窒素が過剰になって,農地外への窒素の排出量が増えてしまう。欧米では水質汚染対策として農地へのリン酸施用量を厳しく制限しているが,日本では可給態リン酸レベルが過剰にまで蓄積した耕地が多くなったにもかかわらず,リン酸の施用量に何らの規制も加えていない。国が規制していないから県は規制しなくても良いという姿勢でなく,県が一歩進んだ規制を行ない,意識的にリン酸減肥を行なった農業者に奨励金を支給する仕組みを作ることが望まれる。

 (4) 畑地帯での農業資源保全活動とは?

 農地・水・環境保全向上対策は,水田地帯で用排水路などの農業資源の共同管理が難しくなった現状をどう打破するかから発想された施策である。水田の維持には集落共同の用排水路管理が不可欠であり,水路には親水機能や水生生物の多様性保全機能もあって,地域住民の参画もえやすい。これに対して,畑地帯では環境保全に役立つ農業資源を保全する共同作業が何かが,かねてから問題になっている。

 「エコ農業茨城」構想には平地林の管理も記載されている。しかし,入会地の平地林なら地域で共同管理することになろうが,個人所有の平地林の場合には個人で管理することになるし,畑地帯では水田地帯での水路管理のような共同作業が必要な場面はあまりない。

 農地・水・環境保全向上対策をもっと広くとらえてはどうだろうか。共同作業にならなくとも,例えば,野菜畑を冬期に裸地にしないで,風食や硝酸の流亡を抑制する冬作物や緑肥を地域で一斉に栽培するのも対象にすることが考えられる。茨城県那珂市は放棄地の環境対策としてヘアリーベッチ栽培に補助金を交付しており(環境保全型農業レポート.No.44.ヘアリーベッチ栽培に補助金を交付),麦類の畑への栽培に補助金を支給している茨城県の自治体もある。また,群馬県嬬恋村では傾斜地のキャベツ畑から排出された土壌によって河川が汚濁されるのを防止するために,畑の下端に牧草を生やしたグリーンベルトを設けて,牧草茎葉に土壌をトラップさせて,水路に土砂が流入するのを防止している(環境保全型農業レポート.No.67.野菜畑と河川底性動物との関係)。傾斜地でなくとも,豪雨時に土壌や栄養塩類が表面流去水によって流されて,水路や河川に流入するのを防止するのに,畑と水路や河川の境にグリーンベルトを設けるのは効果的である。

 こうした畑への冬作物の作付,耕作放棄地へのカバークロップの作付,グリーンベルトの設置など,共同作業ではないが,地域が取り決めをして各戸に行なう作業も,共同作業とみなす必要があろう。

 (5) 施肥の適正化による農産物生産の向上と環境保全の両立

 「エコ農業茨城」構想では,まず栽培方式の見直しなどを総点検することになっている。その際,普及センターや研究所の職員が,地域のアドバイザーとして機能することが重要になる。例えば、環境保全的な農業技術を導入することによって環境負荷の削減に結びつくだけでなく,品質の向上や生産コストの削減などが可能になることを具体的に説明して,農業者が地域の主力農産物の生産技術を変えることを納得できるようにすることが必要であろう。また,「エコ農業茨城」を実践するうえでの農産物の生産基準を明確にしておくことも必要であろう。

 「エコ農業茨城」構想専門委員会の構成をみると,環境保全的な農業技術や環境負荷軽の専門家なしに構想をまとめたようだが,農業者が納得できる生産技術を基準にすることが何よりも必要なはずである。

●「エコ農業茨城」構想の具体化への期待

 「エコ農業茨城」構想の具体化にはこうした難しい問題があるが,具体化して実践することによって,すでにその取り組みを始めている滋賀県の環境こだわり農業(環境保全型農業レポート.2004年7月1日号.滋賀県が環境こだわり農業推進条例で直接支払制度を開始 )に見られるように,地方自治体が行なう環境保全と両立させる画期的な農業支援政策となることが期待される。