西尾道徳「環境保全型農業レポート」
- 特別栽培農産物の条件設定とその問題点
- 滋賀県が環境こだわり農業推進条例で直接支払制度を開始
- 2004年の梅雨期から農研機構がウンカ飛来予報を開始
1.特別栽培農産物の条件設定とその問題点 ●特別栽培農産物の条件とは? 周知のように,2003年5月に特別栽培農産物の表示ガイドラインが改正された。これにより,2004年4月1日以降に生産される特別栽培農産物は,「化学合成された農薬及び肥料の使用を低減することを基本として,土壌の性質に由来する農地の生産力を発揮させるとともに,農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減した栽培方法を採用して生産することを原則とし」,化学合成農薬の使用回数が慣行的に行われている使用回数(土壌消毒剤,除草剤等の使用回数を含む)の5割以下であって,かつ,化学肥料の窒素成分量が,慣行的に使用される化学肥料の窒素成分量の5割以下で生産された農産物に限定された。なお,こうした条件で生産されて精米されたコメは特別栽培米と呼ばれる。 化学合成農薬の散布回数と化学肥料窒素施用量の慣行レベルは,地方公共団体が定めるか,その内容を確認することとなっており,使用実態が明確でない場合には特別栽培農産物の表示を行わないことになっている。では,都道府県ごとの慣行レベルはどう設定されているのだろうか。まだ決めていない一部の県もあるが,大方の都道府県の慣行レベルは,農林水産省の消費・安全局にある表示・規格課のホームページ<http://www.maff.go.jp/soshiki/syokuhin/heya/tokusai_gaido.htm>から知ることができる。 ●化学窒素施用量に関する盲点 その概要を水稲の例でみてみる。水稲への化学肥料窒素の施用量は,品種,気象条件,有機物の施用実態などで当然異なる。2004年5月末日現在,北海道は全域で10a当たり10kg,神奈川県は全域で5.5kgなどを設定している。他方,兵庫県は地域からの申請を県が承認する方式を取っていて,JAあわじ島では5.1kg,JAたじまでは3.2kgなどとしている。全国平均の化学肥料窒素施用量は1985から87年頃に最も多くて10.9kgであったが,その後年々減少して2001年には6.95kgに減少した。6.95kgや3.2kgの50%以下の化学肥料窒素だけで,まともな単収を上げられるはずがない。当然,有機物を施用して土壌生産力を向上させることになるが,極端な場合には有機物の過剰施用が起きかねない。化学肥料も有機物も過剰施用すれば土壌生産力の維持と環境保全の両面で悪となる。従って,有機物の施用量にも上限を設定することが必要である。しかし,有機物の適正施用量や上限値の設定はガイドラインで求められてなく,一部の地方自治体しか設定していない。 | ▼有機物の適正施用量に関連した『農業技術大系』の記事を検索するにはこちら → | ●農薬の散布回数に関する盲点 水稲への農薬の散布回数は,群馬県全域の8回から岐阜県全域の26回までの幅があり,北海道はうるち米で22回に設定している。 農薬散布で問題なのは,散布回数は有効成分の散布量と必ずしも比例しないことである。例えば,農林水産省統計情報部の行った農業生産環境調査報告(2000年)(概要は<http://www.maff.go.jp/toukei/sokuhou/data/12-15tiiki/>から入手できる)によると,10a当たりの水稲への有効成分の総散布量が最も少ないのが北海道0.4kg,最も多いのが山陽1.0kgで,北関東は0.5kgとなっている。しかし、延べ投入回数でみると、最も多いのが北海道18.6回,最も少ないのが南関東7.5回で,北関東は10.9回である。散布回数と有効成分散布量が比例すると理解されると,北海道が有効成分散布量で最も多いと誤解されるが,実際には最も少ない。寒冷地ほど有害生物発生量が少ないので,有効成分散布量が少なくてすむが,北海道は低濃度で多数回散布を行っていると推定される。把握しやすい散布回数で基準を定めているが,消費者が産地間を比較して誤解しないことが望まれる。いずれにせよ,地域ごとに農薬の散布回数を減らせば,地域の散布量も減る。農薬を減らしてフェロモンや生物農薬を併用することは,好ましいことである。 2.滋賀県が環境こだわり農業推進条例で直接支払制度を開始 関西の水源である琵琶湖の水質が農業や生活排水によって悪化している。滋賀県は農業に由来する水質汚染を減らすために,2003年4月に「滋賀県環境こだわり農業推進条例」を施行した。化学合成農薬と化学肥料を慣行の50%以下に削減するほか,濁水の流出防止など環境負荷を削減するのに有効な指定された技術で5年間農業生産を行うとの協定を知事と結んだ農業者の生産した農産物を,県が「環境こだわり農産物」として認証して認証マークを付けて販売することを認め,農業者に奨励金を支給する制度である。 | ▼水質に関連した『農業技術大系』の記事を検索するにはこちら → | (滋賀県農政水産部環境こだわり農業課のホームページより) ●環境保全と農業所得との矛盾 化学肥料や化学合成農薬を慣行の50%以下に削減するだけなら,特別栽培農産物と同じだが,それよりも環境保全を強く求めている。すなわち,両化学資材の削減に加えて,(1)水田からの濁水の流出防止,(2)チャ園への過剰施肥防止(有機質肥料を含め年間の窒素総施肥量を54kg/10a以下),(3)周辺環境に配慮した農薬の使用,(4) 使用済み農業用プラスチックの適正処理の4つを必須技術とし,その他に土壌診断に基づくリン酸の適正施用,緩効性窒素肥料の使用などの推奨技術を指定している。そして,必須技術と推奨技術を合わせて,水稲と茶では4つ以上,その他の作物は3つ以上を実施することを課している。 水稲では化学肥料窒素の施肥上限量は4kg/10aに設定されている。水稲への化学肥料窒素施用量の全国平均値は2001年で6.95kg/10aだが,これよりも少ない。水田の水質浄化機能は,灌漑水の窒素濃度があるレベルより高いときに発揮され,琵琶湖周辺のように灌漑水の窒素濃度が非常に低い場合には,通常量の化学肥料施用でも水田から排出される窒素量が流入量を超えてしまう。このため,4kg/10aという低い施用量が設定されていると理解される。この施用量では,別途規定されている適正施用量の家畜ふん堆肥などの有機物を施用しても,全国平均の水稲単収よりも減収するケースが少なくないと考えられる。琵琶湖の水質が改善されて,それを飲む都市住民がメリットを受けるのに,単収低下によって農業所得が減るだけなら,これを実践する農業者はごくわずかだけとなろう。 ●こだわり農産物認証制度と直接支払い制度の施行 そこで導入されたのが,環境こだわり農産物認証制度と直接支払制度である。2004年1月から知事と5年間の協定を結ぶ「環境こだわり農業実施協定」と,それに基づいて生産された農産物に認証マークを付けて販売することを認める「環境こだわり農産物」制度を施行した。そして,2004年4月から環境農業直接支払交付金の交付を開始した(2007年からの交付金額は2006年度中に決定する)。交付額は単価×作付面積×作付回数で算出される。10a当たりの単価は,水稲で栽培面積3ha以下の場合には5,000円,3haを超える分には2,500円,施設野菜(アスパラガス,トマト,ミニトマト,キュウリ,メロン,イチゴ)で3万円,露地野菜とその他の施設野菜で5,000円,果樹(ブドウ,ナシ,モモ,イチジク)で3万円,その他の果樹で1万円,チャで1万円などとなっている。 以上の具体的内容は,滋賀県農政水産部環境こだわり農業課のホームページ<http://www.pref.shiga.jp/g/kodawari/>から入手できる。 * 特別栽培農産物が食の安全性を重視した表示制度なのに対して,環境こだわり農産物は食と環境の双方の安全性を重視した制度といえよう。理屈上は,農業からの水質汚染が減れば,水道の浄化コストが下がるので,都市住民の支払った税金の一部を投入して,農業者を支援するとともに,多少割高な農産物でも,食と環境の安全性に努めた環境こだわり農産物を消費者に理解してもらい,生産コストの一部を負担してもらう制度といえる。 3.2004年の梅雨期から農研機構がウンカ飛来予報を開始 セジロウンカ,トビイロウンカなどのウンカは,主に中国南部の水田で成虫に羽化し,明け方と夕方に一斉に上空に飛び立ち,梅雨時に発達する下層ジェット気流に乗り,梅雨前線上の低気圧が日本を通過するのにともない,南西諸島,南九州や西日本に降下する。 ウンカは,成虫が茎の汁を吸ってイネを枯らす昔から恐れられている害虫である。日本では越冬できないが,飛来後,秋の涼しくなるまでの間に世代をくり返して加害する。2~3か月効果の持続する殺虫剤を育苗箱に散布して,予防的に防除する方法もある。しかし,ウンカ飛来を天気予報のように正確に予測できれば,より的確に防除することが可能になる。 ウンカの飛来予測の一例 2003年6月11日06時に中国を飛び立ったウンカの、13日00時における分布 ●精度の高いウンカ移動予測モデル ウンカの飛来を予測する研究は以前から行われていたが,以前は海洋上を含む気象情報の正確な把握ができず,約150km×150kmのメッシュ(格子)での予測が限度であった。 日本原子力研究所(原研)の東海研究所は,原子炉事故で放出された放射性物質の大気中における移動をコンピュータで予測するシステムを開発している。原研はこのシステムを使って,チェルノブイリ原子力発電所事故にともなう放射性物質の大気中における移動や,三宅島の噴火にともなうガスの拡散などを予測し,地図に図示している。 そこで,原研が,約30km×30kmのメッシュで,垂直方向に20層に分けて大気の気象データを計算してウンカの移動を予測するモデルを作成した。これを核にして農業・生物系特定産業技術研究機構(農研機構)の中央農業総合研究センターと九州沖縄農業研究センターがウンカ飛来予測システムを構築した。すなわち,気象庁は毎日午前9時現在の大気の状態をコンピュータで解析して気象予報に使っているが,そのデータをオンラインで送信してもらい,当日の午前9時の大気を初期値として3日間の風の状態を計算し,その計算結果をウンカ移動モデルに入力して,ウンカの分布を計算する。これがウンカ飛来予測システムである。そして,毎日の朝と夕方に飛び立ったウンカが風に乗って3日間にどのように移動しているかを3時間ごとに地図に図示して,日本に飛来するのか,飛来するならどこに飛来するのかの予報を,5月下旬から毎日インターネットで公開している。(詳細は<http://narc.naro.affrc.go.jp/chousei/shiryou/press/unka/unka.htm>に記載されている) ウンカの飛び立ちの画面 これがその後の3日間にどのように移動するかを,地図上のアニメーションでみることができる。 ●リアルタイムウンカ飛来予測ホームページ開設 「リアルタイムウンカ飛来予測」のホームページ(<http://agri.narc.affrc.go.jp/indexj.html>)にアクセスすると,その中の「解説」に,当日中国を飛び立ったウンカが日本に飛来するか否かの予報の結論が書かれている。例えば,2004年6月4日の予報では,『2004年6月3日21時(日本時間4日6時),4日10時(日本時間4日19時)の飛び立ちともに,日本へ飛来しないと考えられます。』と記載されている。そして,中国を飛び立ったウンカが3日間にどのように移動するかを,地図上のアニメーションでみることができる。6月4日の予報の場合,ウンカはベトナムの方に移動すると予想されるので,日本には飛来しないと結論されたことが分かる。 このウンカ飛来予測システムを2003年の梅雨期に試行し,九州へのウンカの実際の飛来を確認したところ,同期の降雨予報の的中率とほぼ同じ74%の精度であったとのことである。これだけの精度が確認されたので,2004年の梅雨期からウンカ飛来予報を開始した。この予報は,植物防疫法に基づく国と都道府県が行う発生予察事業による予察ではなく,農研機構が試験的に行っているもので,農研機構はその利用に伴ういかなる損害の責任も負わないことが付記されている。 西尾道徳(にしおみちのり) 東京都出身。昭和44年東北大学大学院農学研究科博士課程修了(土壌微生物学専攻)、同年農水省入省。草地試験場環境部長、農業研究センター企画調整部長、農業環境技術研究所長、筑波大学農林工学系教授を歴任。 著書に『土壌微生物の基礎知識』『土壌微生物とどうつきあうか』『有機栽培の基礎知識』など。ほかに『自然の中の人間シリーズ:微生物と人間』『土の絵本』『作物の生育と環境』『環境と農業』(いずれも農文協刊)など共著多数。
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