No.351 OECDは日本農業の環境保全上の問題を正しく認識しているのか

● はじめに

OECDは,農家や企業が食料・農業部門の生産性を高め,かつ,環境的に持続可能にするためにどのようなイノベーションを起こすことが必要かを,加盟国について順次分析して報告書を刊行している。環境保全型農業レポート「No.350 中国農業の環境パフォーマンス:その現状と課題」も,このシリーズの中国についての報告書からの紹介記事である。

OECDは,2019年5月19日に,日本について下記の報告書を刊行した。

OECD (2019), Innovation, Agricultural Productivity and Sustainability in Japan, OECD Food and Agricultural Reviews, OECD Publishing, Paris.

この報告書でも,中国について報告書と同様,木村伸吾が執筆陣に加わっているが,その他にも重光真起子とMasahiro Takanoを始め,多くの日本の方々が執筆に参加している。

なお,本報告書の日本語で書かれた概要が下記から入手できる。

OECD (2019) 日本農業のイノベーション,生産性および持続可能性:要旨,評価と提言.23pp.

また,本報告書の日本語訳の書籍が英語版の執筆者らによって7月末に刊行された。

OECD編著.木村伸吾,米田立子・重光真起子・浅井真康・内田智裕訳.日本農業のイノベーション〜生産性と持続可能性の向上をめざして.大成出版社.本体3000円

この報告書の概要は,上出のOECD (2019)「日本農業のイノベーション,生産性および持続可能性:要旨,評価と提言」から入手できる。以下に,OECD (2019)の報告について,筆者が環境保全の観点から気付いた点を紹介する。

● 日本の農場規模に関するOECDの認識をめぐって

主要国の農業を概観すると,農家の平均経営面積が大きい国ほど,単位面積当たりの肥料,農薬や灌漑水のような投入物が少なく,平均経営面積の少ない国ほど,投入物を多くして,単収を上げて収益を向上させると同時に,環境負荷も大きくなっている傾向がある。それゆえ,平均経営面積は環境保全で考えるべき基盤的要因の1つである。農林水産省の統計によれば,2018年における1戸当たりの平均経営耕地面積は,都府県で1.74 ha,北海道で24.92 ha,全国で2.46 haである。

OECD (2019)の報告書はこの点について次を記述している(訳文は本記事の筆者)。すなわち,

『(日本では)高齢農業者の退職や農地の賃貸を支援する政策が強化されたために,過去20年間に農地の大規模なプロ農家への集中が加速された。その結果,農業生産は構造的に二極化し,少数の大規模な販売農場が生産の大部分を占めるのに対して,多数の小規模農場が,特にコメ分野で残っている。農場の管理も伝統的な家族農場から,常傭従業者を雇用する法人農場にシフトしている。法人農場数は2005年と2015年の間に2倍に増え,農業生産の1/4超を担っている。2015年に農場の3%が3000万円超(27.8万USドル)を生産し,総生産額の半分を超えている。農場の経営規模分布から,日本の農場構造は,2004年5月1日以前のEU15のものに類似した形で発展してきている。』

このように,OOECDの報告書は,日本の農場規模は2004年のEU拡大以前のものに類似した形に発展したと言い切っている。

(1)借地による規模拡大

しかし,このOECDの認識を素直に理解して良いのであろうか。2015年農林業センサスの「第2巻農林業経営体調査報告書−総括編」から,経営規模別の経営体数などを表1にまとめた。経営耕地面積規模別農業経営体数は,5.0 ha未満のものが全体の92.4%を占め,5.0 ha以上のものが7.6%を占めているだけである。しかし,各経営規模の経営体が占めている総面積は,5.0 ha以上のものが全耕地の57.9%を占めて,少数の大規模経営体が農業生産の主体を担うようになっている。しかし,注意すべきは,5.0 ha以上の所有耕地面積規模別の農業経営体数は,経営耕地面積規模別農業経営体数の半分にすぎないことである。つまり,借地によって規模を拡大している経営体が多く,自営耕地だけで規模できている経営体は少ない。

農林水産省の資料によると,ドイツの一経営体当たり平均経営面積は58.6ha (2013年)で,全耕地の平均約63%が借地で,借地料の平均は約203ユーロ/ha(「ドイツの農林水産業概況」)とのことである。1ユーロを120円とすると,203ユーロ/haは,24,360円/haとなる。他方,日本での農地の賃借料は,2013年の全国平均で,ha当たり,田107,780円,畑55,620円とのことである((財)日本不動産研究所『田畑価格及び賃借料調』)。このため,ドイツに比べて日本の畑地の借料は,ha当たり31,260円高く,水田(ドイツにはないが)では80,420円も高いと計算される。借地で経営面積を広げて,大統合以前のEUと類似した構造になったといっても,借地料が高い日本では,日本・EU経済連携協定(EPA)で,高い地代の分,生産コストの日本の高い日本の農産物は不利になることは容易に想像できる。

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(2)大潟村の住民1人当りの所得は秋田市よりも高い

秋田県の八郎潟を干拓して造成された農地は当初15 haずつ入植者に配分され,現在でもほぼそれが維持され,全ての農地が基本的には所有農地となっている。その入植地で構成された大潟村の住民1人当りの平均所得は,秋田県の市町村別順位で,商工業の多い秋田市よりも多く,1位となっている。大潟村では総生産にしめる第一次産業の割合が28.4%と最も高く,農業は金にならないといわれながら,15 haのまとまった農地で,秋田県全体の住民1人当りの平均所得の133%の所得を上げている。これは農地を大規模化するだけでなく,農地が分散錯圃でなく,集団化していて,それが所有農地であれば,地方の商工業によりも高い所得を上げられることを示している。借地で分散圃場の大規模化が進んで,面積では拡大以前のEU並みになったとして,それ以上の問題点を指摘していないのは解析が不十分ではなかろうか。

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● 日本は総合的な農業環境政策のフレームワークを策定すべきである

OECD (2019)の報告書は次の記述を行なっている(訳文は本記事の筆者)。

『日本の環境政策全体はOCED国の平均よりは一般に厳しいとされている。農業では法律によって畜産分野の特定汚染源(畜舎)による水質や悪臭が規制されているが,作物分野の非特定汚染源は一般的な環境規制法によって直接規制されていない。農業の環境パフォーマンスを改善することは農業政策の目標の1つではあるが,何らの量的政策ターゲットも国や地域レベルで規定されておらず,政策ターゲットを規定する農業の環境パフォーマンスや,その進捗をモニターして体系的に評価することも実施されていない。

農業環境支払は,日本の耕作面積の2%をカバーしているだけである。

(注)農業環境支払とは,「環境保全型農業直接支払交付金」で支払われているものを指す。この交付金は,化学肥料・化学合成農薬の使用を都道府県の慣行レベルから原則5割以上低減する,カバークロップの栽培,堆肥の施用や有機農業などの取組によって,地球温暖化防止や生物多様性保全に効果の高い農業産活動を行なう農業者が,2019年度からは国際水準GAPを受講してその内容を実践する農業者に支給。

政策立案者は,農業環境支払プログラムに参加していない農業者の大部分が,その環境パフォーマンスを向上させるようにする必要がある。事実,全ての生産者が自らの環境パフォーマンスを向上させると約束する,総合的な農業環境政策フレームワークが必要である。農業政策プログラムは生産者に対して持続可能なやり方を採用する一貫したインセンティブを与えるか,適切な場合にはパフォーマンス不履行に対して罰則を科すべきである。

農業環境政策についてそうした総合的フレームワークをデザインするためには,明確な環境ターゲットや基準レベルが必要である。日本では「環境と調和のとれた農業生産活動規範」が,自らの経費負担で行なうべき環境パフォーマンスの質の基準レベルを規定している。しかし,基準レベルは国のレベルで規定されているだけで,その範囲には,気候変動緩和や生物多様性のような,より広範囲な環境のやり方を含んでいない。主要な直接支払事業を含め,この環境基準レベルを遵守する条件となっている支払回数は増えている。日本は,より広範囲な環境のやり方のセットを含む農業生産工程管理(Good Agricultural Practice: GAP)を実施する生産者に対する支援を強化し,生産者に対する基準を提示している農業政策事業のタイプを増やしてきた。とはいえ,特定の生産の仕方を条件にした支払は,生産者への支持総額の30%を占めているだけである。これは,そうした条件を課しているEUやアメリカにおける支払いの大部分とは対照的である。しかし,OECD国の経験から,そうした条件付けは,特定の生産の方法がローカルな多様な農業のやり方や条件に適していなければ有効でないことが示されている。

日本では,国の政府が農業政策のデザインや施行で支配的な役割を有している。しかし,水質や生物多様性のような公益的機能はローカルな環境と密接に関係している。ローカルな公益的機能の提供については,意志決定や資金調達が,国よりも地方によるアプローチのほうが優れており,ローカルに適合した環境ターゲットや基準レベルの設定を含めて,農業環境政策のデザインや施行でより大きな役割を果たすはずである。地域での政策目標を達成するためには,地方政府は,より厳格な法的手段,農業環境支払や自主的な認証システムを含め,色々な政策手段を組み合わせて総合的な農業環境政策を構築することができる。国の政府は,地域のプランや政策施行が国レベルで設定されたターゲットと整合していることを確認すべきである。』

(1)農業生産活動規範は環境パフォーマンスの質の基準レベルを規定しているか

環境と調和のとれた農業生産活動規範」は,農業者が最低限取り組むべき規範として2005年3月31日に導入された。そして,同日に公布された地方農政局長などからの通達によって,基本計画を踏まえて農林水産省が実施する各種の補助金,交付金,資金,制度等の事業は,農業環境規範を実践する農業者に対して講じていくことを基本とする。このため,事業に参加する農業者は,自らがその生産活動を点検して署名捺印した点検シートの写しを手続窓口に提出することが義務化された。このために, OECD (2019) の報告書に,上述したように,『「環境と調和のとれた農業生産活動規範」が,自らの経費負担で行なうべき環境パフォーマンスの質の基準レベルを規定している。』と記述された。

しかし,環境保全型農業レポート「No.12 「農業生産活動規範」とは」に記したように,農業者が守るべき農業行為の内容に具体性がない。「農業生産活動規範」は,作物と家畜生産とで,農業者が守るべき農作業のポイント項目を記したものにすぎない。具体的やり方が記されていないのに,それをきちんと励行したかを農業者自らが確認のチェックを入れることになっている。

例えば,EUの農業に起因した硝酸による汚染の防止に関する法律(硝酸指令)に定められた優良農業行為規範の枠組の条文は1ページに過ぎないが,これに基づいて作られたイングランドの「我らの水,土壌と大気の保護」と題した,農業者等の遵守すべき農業生産工程管理(Good Agricultural Practice: GAP),全124頁に,遵守すべき農業行為が具体的に記載されている。

(2)「農業生産活動規範」の問題点

これに対して,わが国の「農業生産活動規範」では農業行為の記述に具体性がない。

例えば,有機物の施用について記述は次のようである。土づくりの項に,堆肥,麦わらのすき込み,緑肥の栽培などにより土壌に有機物を供給する(原則として1年に1度)ことが記されている。しかし,作物生産に支障を生じない,いわゆる完熟堆肥の作り方,作物生産の持続性と環境の保全とを両立させる,堆肥,わら,緑肥の施用上限量や施用方法については,何らの説明や指示もなく,農業者の判断だけにまかされている。欧米のGAPでは,堆肥作りの項に,酸素を十分に通気して,好気的な有機物分解を行なうことを記している。しかし,日本には堆肥の製造法を定めてなく,空気を遮断して行なう「嫌気堆肥」も横行していて,問題を生じているケースが存在する。

施肥については,次のような記述にすぎない。

都道府県の施肥基準やJAの栽培歴等に則した施肥を行なうことが記載されている。しかし,施肥基準は土壌診断に基づいて施肥量を調節することを求めているものの,「農業生産活動規範」では土壌診断が義務化されていない。これでは片手落ちである。土壌診断に基づく施肥量の調節を行なわずに,標準的な施肥基準に則した施肥を続けていると,すぐに過剰施肥になって,作物生産の持続性がそこなわれ,環境汚染が生じてしまう。また,堆肥等の有機物資材の施用を奨励するなら,そこから供給される養分量を考慮して,化学肥料の施用量を調節しなければならない。しかし,現行の施肥基準で,有機物資材施用量に応じた化学肥料施用量の削減量を明示している施肥基準は,ほんの一部,北海道の施肥ガイドなどに記述されているが,まだ少数にすぎない。

うがった見方をすると,「農業生産活動規範」は,基本法に基づいた基本計画との関係で,国が環境保全を図る農業を積極的に推進する体制を早急につくらなければならないが,具体的に厳しい基準を農業者に課してしまうと,農業者が農業補助金などを受け取るのが難しくなるので,重要な農作業のポイント項目を指摘して,その遵守は農業者自らが判定する方式にして,しかも,遵守の点検は,作目や畜種ごとには不要で,農業経営全体について点検して,農業者ができていると判断すれば,遵守していると判定する。これは,ほぼ全ての農業者が受給できるようにしたからだとかんぐることもできよう。OECDの報告書は,『「環境と調和のとれた農業生産活動規範」が,自らの経費負担で行なうべき環境パフォーマンスの質の基準レベルを規定している。』と記述しているが,とてもそうとはいえないであろう。

(3)中国農業の環境パフォーマンスに関する記述とのズレ

環境保全型農業レポート「No.350 中国農業の環境パフォーマンス:その現状と課題」に紹介しなかったが,OECD (2018)の中国に関する報告書には,次の記述がなされている。

『農業環境政策をデザインするには,基準レベルと環境目標の設定が,政策手段の選択に極めて重要であり,不可欠である。基準レベルは,農業者が自らの負担で提供すべき環境の質の最低レベルであり,環境目標は自発的な(望ましい)環境の質のレベルを設定するものである。しっかりした農業環境政策のフレームワークを設定するために,中国は,生態学的条件に適した,環境質の基準レベルをさらに明確にし,環境目標を提示しなければならない。

中国は,環境保護のための規制フレームワークを策定し,農業セクターにも規制が導入されているが,その対象や施行には改善の余地がある。例えば,「環境保護法」を定めて,生産レベルでの規制を強化し,その1つとして,「家畜汚染の予防と管理に関する規制」を導入し,廃棄物管理を誤った家畜生産者に対する罰金を増額した。農薬使用に関する規制も強化した。しかし,規制は,生産プロセスでなく,生産物レベル(例えば,残留物の最大限界濃度)に適用されていることが多い。農業者が遵守すべき環境の質の最低レベルを明確にした上で,モニタリングシステムとともに,農場レベルで行なう規制を導入して強化すべきである。』

OECD (2019)は,『日本では「環境と調和のとれた農業生産活動規範」が,自らの経費負担で行なうべき環境パフォーマンスの質の基準レベルを規定している。』と記述している。しかし,上述したように,「環境と調和のとれた農業生産活動規範」は,農業者が自らの負担で提供すべき環境の質の最低レベルを何ら具体的に記述しておらず,基準レベルを規定したものとはいえない。中国にその設定が必要というなら,日本にもそれが必要だと記述すべきである。

● 日本の農業地帯の地下水の硝酸塩濃度に関する記述の誤り

OECDの農業環境指標のうち,養分バランスや農薬販売量から,これらの圃場外への流出量,その地下水中の濃度などを定量的に推定することは,栽培する作物の種類,気温,降水量などの要因によって相違し,これらの要因の状態は国によって大きく異なるため,国間で推定値が大きく異なるはずである。このためOECDでは,養分バランスや農薬販売量といった指標では,国全体における余剰総量あるいは販売総量の年次間の増減を重視し,総量が何%増減したかを問題にする。

このことを承知した上で,2012-14年の3か年平均でみた窒素バランス(国の農地ha当たりの平均余剰窒素量kg)の大きな国をみると,韓国249,日本153,オランダ148,ベルギー136kg N/haである(環境保全型農業レポート「No.331 OECDが農業環境指標DBを2014年分まで追加」)。そして,2000-10年における農業地帯の地下水の硝酸塩濃度(正確には硝酸塩+亜硝酸塩濃度だが,以下では硝酸塩濃度と略記する)飲料基準を超えているモニタリングサイトの割合は,高い順に,オランダ34,ベルギー32,デンマーク29,韓国24%である。これに対して日本はわずか5%にすぎない。

OECD (2020)でも指摘しているが,水田では灌漑水が地下浸透する過程で,嫌気的な脱窒作用で硝酸イオンがガス化して減少する。この水田での脱窒作用のために,飲料水基準を超える硝酸イオン濃度の地下水のモニタリング割合が低いとすると,水田が多い韓国で硝酸イオン汚染のモニタリング割合が非常に高いことが理解できない。これは,日本ではNバランス指標と地下水の硝酸塩汚染率とが他国と全く違った関係にあるということなのだろうか? いや,そうではない。データの集め方の違いを考慮しないで比較したことに原因がある。OECDは,農業地帯の地下水の硝酸イオン汚染の状況を比較するために,農業地帯でのデータを求めているのに対して,日本のデータは農業地帯だけのものでないため,他の国のデータと同様に比較するのが誤りなのである。

(1)環境省の地下水調査方法を正しく理解していない

OECDは1990年に農業環境指標の作業を開始し,2010年にその20周年を迎えたのを記念して,次の報告書を刊行している。

OECD (2013), OECD Compendium of Agri-environmental Indicators. 181pp.

その123頁の最後の行から次頁にかけて,日本について次が記述されている。

『地下水の水質は向上してきており,(農業を含む全ての排出源に由来する*1)窒素*2は,モニターした井戸の5%を超えている・・・』

筆者注 : *1カッコ内の記述がOECD(2019)では省略されている。

*2硝酸イオンと亜硝酸イオンの濃度が飲料水基準を越えた割合。

そして,OECD加盟国の2000-10年において農業地帯の地下水の硝酸塩濃度が飲料水の水質基準を越えたモニタリングサイトの割合を示す図(Figure 9.6)が示され,それをベースにして追加・修正された図がOECD (2019)の報告書にも図示されている(Figure 2.15)。これらの図で日本は5%として図示されている。これは環境省の行なっている「地下水質測定結果」)報告書に基づいている。環境省水・大気環境局 (2018) 平成29年度地下水質測定結果.全96頁によると,硝酸塩濃度は,1999年度に以降環境基準に追加されて調査を開始して以降,超過率は5〜7%で推移していたが,2003年度をピークに減少傾向にあり,2017年度は2.8%に低下している。

では,この硝酸塩濃度の超過率は,農業地帯において硝酸塩濃度が飲料水基準を越えたモニタリングサイトの割合を示しているのか。それなら農業による地下水の硝酸塩濃度汚染は深刻でないと誤解されかねない。

各年度の報告書にも記述されているが,環境省(2008)の「地下水質モニタリングの手引き」に測定方法の要点がまとめられている(表3)。

地域の全体的な地下水質の状況を把握するための調査は概況調査と呼ばれている。利用水的に重要な地域について重点的に汚染の発見や濃度の推移を把握するには,定点方式が用いられる。日本では農業地帯を指定して,定点方式で観測されていることはない。市街地域,農業地帯,山岳地帯などを,一定の大きさのメッシュに分割して,ローリング方式でメッシュの中から毎年度サンプリングサイトを選定している。すなわち,地域を市街地では1-2 km間隔,農業地域などの周辺地域は4-5 km間隔でメッシュに区切り,その中からモニタリングする井戸を選定して分析を行なっている。地下水質調査は市街地に存在する様々な有害物質を使用している工場,クリーニング店,下水道未整備の市街地などによる汚染の状況を調べるために開始された。このため,農業地帯は重点調査の対象になっていない。

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環境保全型農業レポート「No.203 OECD加盟国における水質汚染〜農業による水質汚染に対処する政策」に,次のように記した。

『(筆者注)基準を超えた硝酸+亜硝酸汚染はモニター井戸の4%ということには注意が必要である。「水質汚濁防止法」に基づいて行なっている地下水の概況調査では,都道府県の市町村を市街地では1〜2 km,その周辺地域では4〜5 kmを目安としてブロックに分割し,そこを代表する井戸を選定して,井戸水の水質を年1回以上分析している。このため,農村部のブロックを5 km四方とした場合,その面積は2,500 haの広さになる。日本では国土の約7割が山林なので,2,500 haの大部分が農地で占められているケースは少なく,大方は山林になる。このため,農業から排出された養分が森林から排出された地下水によって基準以下に希釈されているケースが多いと推定される。農地だけのブロックでは地下水,特に水田地帯以外では,地下水の硝酸+亜硝酸濃度が基準を超えているケースがはるかに多いことに留意する必要がある。』

(2)日本の農業地帯の地下水の汚染状況

全国的に農業地帯の地下水の硝酸性窒素汚染を調べた事例が存在する。この点については次から該当部分を抜粋して記述する。

西尾道徳 (2005) 農業と環境汚染.p.127-128. 全438頁.農文協

『図1は,農林水産省が,1987年度から1991年度にかけて,灌漑用水として利用している全国182か所の井戸(水田地帯107,その他75か所の主に浅井戸)について,水質調査を行った結果のうち,硝酸性窒素の結果を図示したものである。硝酸性窒素濃度が「水道法」の水質基準である10 mg N/Lを超えたのは,水田地帯では中位段丘(30〜50 m程度の高さの段丘)で1件認められただけであった。しかし,その他の地帯(畑作,果樹作,畜産)では,基準値を大きく上回るケースが多く,最高は77.4 mg N/Lであった。こうした高い硝酸性窒素濃度も,溶脱する硝酸量と降雨量次第で容易に起こりうる(表4)。その他の地帯で基準値を超えた地点は合計27で,全体の36%にも達し,水田地帯での1%と,好対照である。』
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『図1と同時期の1986〜1993年にわたって26都道府県の農村部364か所の井戸水,湧水,温泉水を調査した結果によると,硝酸性窒素濃度が「水道法」の水質基準を超えた割合は,畑地帯で55%,果樹地帯で26%となっており(藤井ら 1997:藤井國博・岡本玲子・山口武則・大嶋秀雄・大政謙次・芝野和夫 (1997) 農村地域における地下水の水質に関する調査データ(1986〜1993年)。農業環境技術研究所資料.20: 1329. ),こうした地帯での地下水の硝酸汚染が深刻なことがうかがえる(表4)。』

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このデータで,草地,水田,畑地,樹園地,施設栽培地,農村集落を農業地帯とすると,その採水した地下水の48%が硝酸性窒素10 mg/Lの基準値を超えていたことになる。このように日本の農業地帯で硝酸性窒素汚染基準を越えた地下水の割合が,農業地帯をろくに調査していない環境省のデータの5%未満との印象を与える記述は欺瞞といわざるをえない

● おわりに

日本の農業地帯における地下水の硝酸塩濃度について,環境省の地下水モニタリング調査のデータを使って,日本の地下水で飲料水基準を越えた割合は4〜7%と非常に低い値であり,それが農業地帯でも成立しているからのような印象を与える記述をOECD(2009)は行なっている。こうした記述はOECD(2009)に限らず,2000年以降にOECDから出版された農業環境に関する報告書のいずれにもそうした報告を行なっている。

窒素バランス(余剰窒素量)の多い国は,韓国,日本,オランダ,ベルギーの順で,日本は世界で2番目に多い。他方,農業地帯において地下水の硝酸塩濃度が飲料水基準を越えたモニタリングサイトの割合が高いのは,オランダ34,ベルギー32,デンマーク29,韓国24%なのに,日本はわずかに5%と思わせる回答をしている。これによって,OECDもそうだが,日本の国民も日本の農業による地下水の硝酸塩汚染は局所的で大したことはないと誤解しているであろう。実際にはそうではないことを物語る調査事例を図1と表4示したが,多少古いデータである。現状ではどうなっているのか。そのデータを日本の農業地帯について農林水産省は全国の農業地帯について調査を行なって,公表すべきである。

図1のデータは農林水産省が県の協力をえてデータ収集したが,新農業基本法である1999年公布の「食料・農業・農村基本法」で農業の持つ公益的機能を打ち出すのに,農業のマイナスの環境影響が強く印象付けられるのを嫌ったのであろうか,図1や表4を持ち出して,マイナス影響を論ずる人は極めて少なくなってしまった。そして,日本では農業を継続することによって,多少のマイナス影響がでるが,それよりも環境へのプラス影響の方がはるかに大きいですよという,認識が醸成されていった。

2016年時点で日本では陸地面積に占める農地面積が12%にすぎない。これに対して,EU全体では41%,なかでもイギリスでは71%に達している。農業が環境にマイナス影響を与えれば,国土全体に日本よりも大きな影響が出てくる。このため,EUでは国民の農業による環境汚染に対する認識は厳しく,逆に農業による環境負荷の軽減に対して共通農業政策などを通じて税金を支出することに賛成する意見は非常に高い(環境保全型農業レポート「No.153 EUのCAPに関する世論調査結果」参照)。

日本でも里山など農村環境への関心は高いが,日頃は,市街地と農村が離れているために,限られた農村地域の環境が市街地につながっているとの認識は低い。逆にEUでは,農業における環境負荷のために,国土全体の環境が悪化するために,農業が安全で美味しい農産物を生産するのは当然で,きれいな環境も提供してほしい。そのために,一定の基準を上回るクリーンな農業を行なってくれた人には奨励金を共通農業政策で支給しますという政策が徹底している。そして,特に農業からの養分排出によって河川,湖沼,河口,地下水などの水系がひどく汚染されたことを防止して改善するために,1991年に「硝酸塩指令」という法律を公布して,肥料や家畜糞尿による水系の汚染を規制した。この法律を遵守するためには,家畜・家禽の頭羽数を大幅に削減する必要があるなど,農業構造改革を迫られ,直ぐには完全遵守を行なえなかった国があった。オランダやイギリスも屁理屈をならべて,完全遵守を遅らせていた。これらの国々も2000年代初期に完全実施を果たした。そして,硝酸塩指令によって,化学肥料の窒素やリンだけでなく,家畜糞尿の窒素やリンの施用量も急激に減少し始めた(環境保全型農業レポート「No.251 EUにおける農地からの窒素排出量の内訳と硝酸指令の削減効果」)。

日本の農業地帯では,農業から排出された窒素による地下水の硝酸塩汚染は大したことはないという印象を与えている。農業による環境汚染が深刻な中国については,農業者が自己負担で実践すべき基準レベルと望ましい環境目標の設定とを行なうべきであると,中国にはOECD(2018)で勧告している。しかし,日本については,農業者が守るべき農作業のキーポイントを簡単に記述して,その遵守を求めているから,農業者が自己負担で実践すべき基準レベルを日本が定めなくても良いといったことを,暗に前提とした論理を展開している。

日本も農業による農業地帯での環境負荷の実態を示すデータを積極的に収集し,それに基づいて農業者が最低遵守すべき農作業の具体的基準を策定すべきである。