No.282 有機栽培と慣行栽培作物の遺伝子発現の違い

有機栽培の作物では,慣行栽培のものとは異なった養分吸収や物質生産が行なわれていて,慣行栽培で得られた知識が当てはまらないかのような,科学的には理解できない無謀なことがいわれることも少なくない。しかし,有機と慣行栽培の作物で体内成分に違いが生じていることは,有機栽培では慣行栽培と違った代謝系路が動き出して,違った物質が生産されていることを推定させる。

この推定を明らかにするため,遺伝子発現の違いを分析する方法を用いて研究が進められている。

●遺伝子発現の違いを調べる研究方法

この推定を調べるのに,染色体にある遺伝子のDNAを分析しても意味がない。遺伝子には,ある時間断面では発現して(働いて)いないものが多数あり,今の瞬間に発現しているDNAを把握することはできない。そこで,DNAを鋳型にして作られる寿命の短いメッセンジャーRNA (mRNA)や,それを鋳型にして作られた蛋白質を調べることが実施されている。

現在では,特定の作物について,作物体から抽出したmRNAを鋳型にして合成した核酸塩基配列や,遺伝子の機能の判明したDNA(相補的DNA (cDNA))のセットが作られている。そこで,スライドガラスなどに高密度に固定した多数のcDNA断片(DNAマイクロアレイ)と,作物体から抽出したmRNAとを接触させると,鋳型どうしの関係にあるmRNAとcDNAがらせん状に結合するので,mRNAがどの蛋白質を合成する遺伝子かを同定することができる。

また,蛋白質を分離して発現している遺伝子を調べるには,次のように行なう。ある時間断面で作物体から抽出した蛋白質を,等電点と分子量にしたがって二次元の電気泳動にかけて,蛋白質を別々のスポットとして分布させる。蛋白質を染色して,そのスポットを切り出して,自動分析機器を用いて蛋白質を同定する。

●ニューキャッスル大学ナファートン農場の有機と慣行栽培圃場での実験

A.圃場

イギリスのニューキャッスル大学付属ナファートン農場に,2001年から有機栽培と慣行栽培について,施肥方法,有害生物防除方法,作付体系の違いについて要因分析を行なう実験圃場を設け,栽培試験を開始した。その概要を下記によって紹介する。

Lehesranta,S.J., K.M. Koistinen, N. Massat, H.V. Davies, L.V.T. Shepherd, J.W. McNicol, I. Cakmak, J. Cooper, L. Lück, S.O. Kärenlampi and C. Leifert (2007) Effects of agricultural production systems and their components on protein profiles of potato tubers. Proteomics, 7:597-604.

約11.9 haの畑で慣行栽培と有機栽培を行ない,施肥は,慣行区で化学肥料(180 kgN/ha,134 kg P/ha,200 kg K/ha),有機区で牛ふん堆肥(170 kg N/ha)を施用した。有害生物防除は,慣行区で化学合成の除草剤,殺虫剤,殺菌剤,ジャガイモでは茎葉処理剤を使用し,有機区で機械除草,塩基性塩化銅(殺菌剤),機械による茎葉除去を行ない,慣行区ではコムギの跡のジャガイモ,有機区ではイネ科マメ科の混播牧草跡のジャガイモといった,それぞれ慣行と有機に多い作付体系のなかのジャガイモで実験を行なった。施肥,防除,作付体系といった要因を組み合わせた反復を含めて64の処理区を設けた。

ニューキャッスル大学の圃場は,EUの「安全食物」SAFEFOODSと称する研究プロジェクトの実験圃場となり,EUの多くの国々の研究者によって共同研究が行なわれた。

B.有機と慣行の栽培方法の違いがジャガイモ塊茎の蛋白質プロフィールに及ぼす影響

上記の圃場で,慣行区では2001-02年に混播牧草,2002-03年に冬コムギを栽培し,有機区では2001-03年に混播牧草を栽培し,2004年に両者にジャガイモ(品種Santé)を栽培した。このため,ジャガイモの前作は,慣行区で冬コムギ,有機区で混播牧草とした。

通常のように収穫したジャガイモ塊茎を室温(8-12℃)に8週間貯蔵した後に,凍結乾燥して粉砕した粉末を分析用サンプルとした。サンプルから抽出した蛋白質を二次元電気泳動にかけて,蛋白質をスポット状に分離させ,同定を行なった(Lehesranta et al., 2007)。

(1) 結果の全体的概要

その結果,ジャガイモ収量は慣行施肥と慣行防除で最も高く,塊茎の全NとP含量は慣行施肥で高かった。

二次元電気泳動によってジャガイモ塊茎の蛋白質スポットを調べたところ,有機と慣行の栽培方法を構成する施肥,防除,作付体系の要素のうち,施肥の仕方が蛋白質スポットを大きく異ならせていた。一方,防除や輪作は識別できるほどの違いをもたらしてはいなかった。

施肥の仕方で有意に異なる160の蛋白質スポットが認められ,そのうちの慣行施肥で多く検出されたスポットは17,有機施肥で多く検出されたスポットは143であった。このうち100超のスポットを同定できた。

(2) 慣行施肥でより多かった蛋白質

慣行施肥で育てた塊茎には小さな分子量の熱ショック蛋白質が多く,有機施肥でのような大きな分子量のものは少なかった。また,蛋白質分解酵素インヒビターが慣行施肥での塊茎に多かった。塊茎の主要な貯蔵蛋白質であるパタチンは慣行施肥でより多いが,これまでに同定されたものよりも分子量が小さく,分解されたパタチンが増えたと推定される。

(3) 有機施肥でより多かった蛋白質

有機施肥で育った塊茎により多かったスポットには,様々なストレスから植物を守る,次のような蛋白質が多く検出された。

(a) 細胞が熱などのストレス条件下にさらされた際に発現が上昇して細胞を保護する,慣行よりも大きな分子量の様々な熱ショック蛋白質や,他の蛋白質分子が立体的に正しい折りたたみをして機能を獲得するのを助けるシャペロン蛋白質。

(b) 害虫に補食された植物で活性化する細胞成分分解酵素の作用を妨害するインヒビター蛋白質(クニッツタイプの酵素インヒビター)。

(c) 有毒な活性酸素を無毒化するスーパーオキシドジスムターゼやアスコルビン酸ペルオキシダーゼ。

(d) 解糖系の副産物として生産される有毒なオキソアルデヒドを解毒する2つの酵素(グリオキサラーゼと)。

 また,貯蔵蛋白質や他の蛋白質を窒素源用に分解する蛋白質分解酵素が多く検出された。解糖やエネルギー代謝に関与しているいくつかの酵素が,有機施肥でより多く検出された(フォスフォグリセリン酸ムターゼ,グリセルアルデヒド-3-リン酸デヒドロゲナーゼ, ATP合成酵素,コハク酸デヒドロゲナーゼなど)。

(4) 有機施肥でなぜ遺伝子の発現が異なるのか

有機作物は,一般に養分供給が不十分なために,ストレスの高まった条件下で生育していると想定されている。そこで有機作物は窒素不足を補うために,いったん合成した蛋白質や他の巨大分子を分解して,蛋白質の活発な合成が必要な部位に転流して効率的に再利用できるように,巨大分子のターンオーバーや蛋白質の合成や分解に関与する蛋白質が,有機施肥で育った塊茎でより活発であることが推定される。

さらに,解糖やエネルギー代謝に関与しているいくつかの酵素のレベルが,有機の塊茎でより高かったことは,細胞の呼吸速度がより高いことを示唆している。

また,同定された蛋白質の多くは,熱ショック蛋白質,酸化ストレスに対する防御メカニズムとして機能する酵素(スーパーオキシドジスムターゼ,アスコルビン酸パーオキシダーゼ)など,様々なストレスに対する植物の応答として確認されている。それゆえ,有機施肥は,これまでストレス応答に関与している蛋白質量を増加させていると推定される。

C.mRNAで調べた施肥の違いによるジャガイモ塊茎での遺伝子発現の違い

ニューキャッスル大学ナファートン農場の有機と慣行栽培圃場で,2005年に冬コムギ跡に栽培して収穫したジャガイモからmRNAを抽出して,cDNA断片(DNAマイクロアレイ)を用いて,その同定を試みた。

van Dijk, J.P., K. Cankar, P.J.M. Hendriksen, H.G. Beenen,, M. Zhu, S. Scheffer, L.V.T. Shepherd, D. Stewart, H.V. Davies, C. Leifert, S.J. Wilkockson, K. Gruden, and E.J. Kok (2012) The identification and interpretation of differences in the transcriptomes of organically and conventionally grown potato tubers. Journal of Agricultural and Food Chemistr 60: 2090−2101

その結果,最も明確な結果であったのは,リポキシゲナーゼ系路のmRNAが有機施肥でより高く発現され,有機の生物防除でより低く発現された。リポキシゲナーゼは,不飽和多価脂肪酸に酸素原子を結合させて脂肪酸ヒドロペルオキシドを形成する。多くの動植物に存在するが,中でもダイズやエンドウといった豆やジャガイモの塊茎に多く存在する酵素である。因みに,ダイズ豆をホモジナイズして作った豆乳が青臭くなるのはリポキシゲナーゼの作用によるのであり,リポキシゲナーゼの遺伝子を欠損したダイズ系統が作られている。

リポキシゲナーゼの作用によって生ずる脂肪酸ヒドロペルオキシドには様々な化合物があり,植物が持っている,害虫や病原菌による食害に対抗する遺伝子を活性化させるものも多く,その結果,組織が堅くなったり,抗菌物質が形成されたりする。このようにリポキシゲナーゼは,植物の防御メカニズムで重要な働きをしている。

このように,生物的ストレス系路が,有機肥料でより高く発現した。

また,デンプン合成酵素経路が,有機の有害生物防除と施肥の両者で高レベルに発現された。

●慣行栽培でも低窒素にしたら有機栽培と似た遺伝子発現が起きるのか?

有機栽培では慣行栽培に比べて窒素の供給量が少なく,そのために窒素などのストレスが生じて遺伝子の発現が慣行栽培と異なるとするなら,慣行栽培で化学肥料窒素のレベルを極端に低くしたら,有機栽培と類似した遺伝子の発現が生ずるのであろうか。

慣行栽培と有機栽培の比較を意図したのでなく,低窒素レベル下での作物の窒素利用効率向上を意図した研究だが,下記の研究がこの点の参考になる。

Lian,X., S. Wang, J. Zhang, Q. Feng, L. Zhang, D. Fan, X. Li, D. Yuan, B. Han and Q. Zhang (2006) Expression profiles of 10,422 genes at early stage of low nitrogen stress in rice assayed using a cDNA microarray. Plant Molecular Biology 60:617-631.

インディカ米品種のミンフイ63 (Minghui 63)の幼植物を,1.44 mMの硝酸アンモニウムを含む培養液で4葉出現時まで水耕栽培した。その後0.24 mMの硝酸アンモニウを含む培養液に移植した。移植後20分,1時間と2時間後に,1.44 mMと0.24 mMの硝酸アンモニウムでの幼植物の双方から茎葉と根を採取し,mRNAを抽出して,cDNAのマイクロアレイを用いてmRNAを同定した。そして,次の結果がえられた。

(1) 光合成とエネルギー代謝に関与する遺伝子の発現は,低窒素では急速に減少した。これは窒素不足になったら,イネは光合成やTCAサイクルのような多量のエネルギーや養分を消費する活性を閉じて,生き残りを図るためと理解される。

(2) 病原菌の攻撃のような生物的ストレスや,物理的条件のような非生物的ストレスに初期応答する遺伝子の多くの発現レベルは,低窒素条件で高まった。これは,これらのストレスは低窒素ストレスと生理的に似ており,低窒素ストレスで発現の増えた遺伝子は,低窒素ストレス時に作物体を保護する役割を果たしていることを意味しよう。

(3) 窒素の吸収や同化に関与していることが判明している遺伝子は,低窒素ストレスにほとんど応答しなかった。これは,低窒素ストレスをかけてからごく初期の段階を調べた結果のためであろう。

こうした結果から,低レベルの窒素供給が有機栽培での遺伝子発現の違いを起こしていると推定できよう。

●ロザムステッド研究所の化学肥料と牛ふん堆肥長期連用圃場での,コムギにおける遺伝子発現の違い

A.化学肥料と牛ふん堆肥長期連用ブロードボーク圃場

イギリスのロザムステッド研究所には1843年以来,牛ふん堆肥(farmyard manure:通常はきゅう肥と訳されているが,牛ふん堆肥に同じ)に対して化学肥料の有効性を確認するために,牛ふん堆肥と化学肥料を施用して冬コムギを現在まで連作で栽培している,有名なブロードボーク圃場がある。化学肥料区の窒素施用量は,0,48,48+96+48(3回分施区),192,288 kg/haを施用している。窒素を192や288 kg/ha施用したのは,戦後超多収コムギ品種が普及してからである。また,牛ふん堆肥区の牛ふん堆肥施用量は年35 t/haだが,最近はこの量の牛ふんに加えて,96 kg/haの化学肥料窒素を追加施用した区も設けている。

この牛ふん堆肥連用区が有機栽培区,化学肥料連用区が慣行区とみなされることがある。しかし,年35 t/haの牛ふん堆肥には約250 kg/haの全窒素量が含まれている。一方,2008年に改正されたEUの有機農業実施規則の第3条2項によって,家畜ふん尿,乾燥家畜ふん尿,脱水家禽ふん,家畜ふん堆肥の総量は,農地面積ha当たり窒素で年間170 kgを超えることはできないと規定されている(環境保全型農業レポート「No. 212 EUの有機農業における家畜飼養密度と家畜ふん尿施用量の上限」参照)。このため,ブロードボーク圃場の牛ふん堆肥区は,EUの規則に準拠した有機栽培とはいえない。それに加えて,約170年間も牛ふん堆肥を連用していると,1年間に投入した窒素が見かけ上,当年に全て無機化され,通常の有機栽培よりは堆肥からの無機態窒素の供給量がはるかに多いと推定されるため,通常の有機栽培と同様には扱えない。

このようにブロードボーク圃場は,有機栽培の観点からみれば適切な試験区とはいえないが,この圃場をつかって,化学肥料連用区と牛ふん堆肥区で栽培したコムギの遺伝子発現の違いを調べた研究がある。世界で最も古い試験圃場で新しい問題を解析しようとした例として,下記の論文の概要を紹介する。この研究で有機栽培での遺伝子発現について明確な結果が得られたとはいえないが,新しい試みを行なった点で評価される。

Lu C, M.J.Hawkesford, P.B.Barraclough, P.R.Poulton, I.D.Wilson, G.L.Barker, K.J.Edwards (2005) Markedly different gene expression in wheat grown with organic or inorganic fertilizer. Proceeedings of Royal Society B. 272:1901-1908.

B.施肥の違いによるコムギ子実でのmRNAで調べた遺伝子発現の違い

ブロードボーク圃場のいろいろな施肥区で栽培したパン用冬コムギから,開花14日後に処理区当たり500粒の子実(主稈の穂の中央部の小穂から採取)を採取し,その胚乳からRNAを抽出し,cDNAを固定したマイクロアレイによって,mRNAを同定した。そして,次の結果が得られた。

(1) 化学肥料窒素量が年192 kg/haやそれを超える区に加えて,牛ふん堆肥やそれに化学肥料を追加施用した区といった,可給態窒素の多い区の子実胚乳には,窒素代謝に関与する遺伝子が多く発現していた。

例えば,(a)根の細胞膜に存在して,土壌中のアンモニウム,硝酸イオンやアミノ酸を根の内部に運び込むのを仲介するトランスポーター蛋白質や透過酵素の遺伝子,(b)アミノ酸と2-オキソ酸の間でアミノ基を転移する反応を触媒するアミノ基転移酵素の遺伝子,(c)硝酸還元酵素,(d)グルタミン合成酵素の遺伝子が,高レベルの可給態窒素施用で多く発現した。これは活発なアミノ酸合成を反映したものと理解できよう。

(2) 牛ふん堆肥の存在下で発現の高まる遺伝子群が存在した。

牛ふん堆肥を施用した区の子実胚乳には,化学肥料窒素を192 kg/ha施用した区よりも5倍超多く発現した遺伝子が認められた。その数は合計12の遺伝子が検出されたが,そのうちの9つの機能は特定できなかった。特定できた遺伝子は,ホスホグリセリン酸ムターゼ(phosphoglycerate mutase:3-フォスフォグリセリン酸と2-フォスフォグリセリン酸を相互変換する酵素)の遺伝子など3つの遺伝子であった。

この研究が刺激になって,有機栽培と慣行栽培の作物での遺伝子の発現を比較する研究所が増加した。ただし,過大な量の牛ふん堆肥連用で発現の高まる遺伝子を探るのは,正しい意味での有機農業の研究としては論外である。