No.311 EUの科学委員会が石灰窒素の肥料使用の安全性を評価

・EUの「健康・環境リスク科学委員会」

EUの執行機関である欧州委員会には,問題領域別に33の総局が置かれている。その1つの「健康・消費者保護総局」Directorate General Health and Consumers Affairsには,関係行政を推進するための政策案の作成を行なわせるために,いくつかの科学委員会を設けている。その1つの「健康・環境リスク科学委員会」Scientific Committee on Health and Environmental Risks (SCHER)は,汚染物質(食品を除く)の健康と環境に与えるマイナスの影響を評価して,政策の参考になる科学的論拠と政策案をまとめる役割を有している。

・石灰窒素の評価の経緯

2013年3月8日に「企業・産業総局」Directorate-General Enterprise and Industryは,「健康・消費者保護総局」に対して,その傘下にある「健康・環境リスク科学委員会」に,「肥料としての石灰窒素(カルシウムシアナミド)の使用による人間の健康と環境に対する潜在的リスクについての意見をまとめる」よう依頼することを要請した。

2014年5月に「健康・環境リスク科学委員会」は,欧州委員会にその回答である意見書の案を提出し,石灰窒素を製造している企業に意見書案に対してコメントする機会を与えた。2014年9月に製造企業からはコメントが出され,それを考慮して,石灰窒素に関する下記の評価報告書が作成された。

SCHER (Scientific Committee on Health and Environmental Risks): Potential risks to human health and the environment from the use of calcium cyanamide as fertiliser, 22 March 2016. p.69.

・「健康・環境リスク科学委員会」に課せられた課題

「健康・環境リスク科学委員会」は,下記の疑問に答えることを要請された。

課題1 2015年4月1日よりも前に利用可能な全ての関係情報を考慮し,粉末および顆粒の両形状の石灰窒素の使用は,人間の健康と環境に安全と考えることができるか。

課題2 「健康・環境リスク科学委員会」によってリスクが確認された場合,製造業者にとって,肥料としての石灰窒素の安全な使用を確保するのに十分な保護対策が必要か。

課題3 環境に対する潜在的リスクが存在する場合,当該作物への施用量は,当該の土壌や気候の条件下で何らかの有害影響を生じないか。

課題4 石灰窒素の使用にともなう危険ないし暴露についての科学的知見に大きなギャップが確認された場合,「健康・環境リスク科学委員会」はそのギャップを妥当な期間でどうやって埋めるのが良いと考えるか。

この4つの課題に対する「健康・環境リスク科学委員会」の意見を,上記意見書によって紹介する。

・石灰窒素とはどんな肥料か?

石灰窒素は主に,ヨーロッパとアジアで緩効性窒素肥料として利用されている。

石灰窒素の主成分はカルシウムシアナミドで,電気炉のなかでコークスと石灰岩を大気の窒素ガスの存在下で1,000−3,000℃超で加熱して,まず炭化カルシウム(カルシウムカーバイド)を製造し,これに窒素ガスを反応させて製造する。このとき,石灰窒素と同時に炭素も生産される。

カルシウムシアナミドの分子式はCaCN2で,工業用製品は白色のカルシウムシアナミド以外に,約20%の生石灰に加えて,10−20%の炭素を含むため,黒灰色を呈している。工業用製品の窒素含量は22−25%,その92−95%はシアナミドで存在するが,0.1−0.4%はジシアンジアミド(CN?NH2)2で存在し,その他に微量の窒化ケイ素Si3N4や窒化アルミニウムAlNも存在している。これらの不純物は有毒とは考えられていない。

カルシウムシアナミドは,水に溶けると,カルシウムイオンとシアナミドイオン(NCN2)を生じる。シアナミドイオンは強い塩基性を示し,水と反応して酸性シアナミドイオン(HNCN)を生じる。酸性シアナミドイオンは酸と塩基の両方の性質を持った両性で,土壌のpHによって,酸として働いた場合にはシアナミドイオンに戻り,通常の土壌では塩基として働く場合が多く,シアナミド分子(H2NCN)を生ずる。シアナミド分子は加水分解されて尿素を生じ,尿素はアンモニウムを生じ,さらに硝酸に硝化される。酸性シアナミドイオンは作物に直接吸収され,作物体内で尿素を経てアンモニウムに分解される。

石灰窒素の一部は土壌中での分解過程でジシアンジアミドに変化するが,これは硝化作用を阻害し,窒素の温室効果ガスである亜酸化窒素(N2O)への変換を抑制する。また,土壌中で生じたシアナミドは,土壌伝染性病害,ナメクジ,雑草種子の発芽を抑制する副作用を有している。

石灰窒素は肥料とはいえ,こうした農薬的効果を有しているゆえ,その安全性についてEUが評価を行なったわけである。

・課題に対する「健康・環境リスク科学委員会」の意見

(1)課題1に対する意見

1,000 kg/haの粒状石灰窒素の施用を最大施用量とし,500 kg/haの施用を通常の施用量として検討を行なった。粒状の石灰窒素を施用した場合,人間の健康や環境への潜在的影響がないとはいえなかった。粉状の石灰窒素では,粒状に比べて小さな粒子の割合が増えるので,人間の健康への影響は高まると考えられる。粉状と粒状の石灰窒素についてドリフト量の違いがないとしたため,両形状の石灰窒素による環境影響の差はないとした。

「健康・環境リスク科学委員会」(以下,「科学委員会」と記す。)は,人間の健康および環境への有害影響は通常および最大の両施用量で排除できないと結論した。リスクは,両施用量で,最終使用者(農業者と家庭園芸者)ならびに住民や通行人(子供を含む)で確認された。環境については水環境でリスクが確認された。

(2)課題2に対する意見

石灰窒素の製造企業は,作業者を保護するために手袋や作業着を着用することを要求しているが,これらを着用しても,プロの農作業者であれ家庭園芸者であれ,経口摂取のリスクが確認された。施用時にマスクを着用すればリスクを減らせるが,マスクを着用しての作業は現実的には無理である。また,住民や通行人は,リスク軽減手段を持っていない。

「科学委員会」は暴露評価について控えめな設定をしたが,その仮定は非現実的なものではない。想定したどのシナリオでも,暴露量はカルシウムシアナミドの作業者暴露許容量 (AOEL)をかなり超過した。このことからみても,石灰窒素中のカルシウムシアナミドが人間の健康にリスクを及ぼさないとの結論は得られなかった。カルシウムシアナミドの主たる代謝産物はシアナミド(H2CN2)だが,これは人間の健康へのリスクゆえに,農薬としての利用がすでに制限されていることに留意すべきである。

家庭園芸での石灰窒素の使用は,次の理由から回避すべきである。[1]手袋や作業着を着用してもどのシナリオでも暴露量がAOELを超えた。[2]家庭園芸者には追加する有効な防護手段がない,[3]施用した菜園や庭に入り込んだ際のリスクは分かっていない,[4]施用した粒状肥料の,子供や動物よる経口摂取はAOELを既に超えている。

製造企業は,環境を守るための注意を何ら提供していなかった。

(3)課題3に対する意見

水生環境の生物に対する害作用をなくすには,施用量を有効成分のカルシウムシアナミドで4 kg/ha,石灰窒素の製品で9 kg/haにすることが必要である。

(4)課題4に対する意見

[1]人間の健康に対するリスクをきちんと評価するために,作業者,通行人や住民の暴露量の精度を高める必要がある,[2]農薬での評価モデルを今回は適用したが,肥料用の評価モデルを構築する必要がある,[3]カルシウムシアナミドを水生生物への影響は急性毒性に基づいて評価したが,慢性毒性や生態毒性を調べて,評価を高度化する必要がある。これらを行なうために2年間が必要である。

・おわりに

上記の評価報告書はまだ完了したものではなく,今後の追加評価を受けて,EUが石灰窒素の施用の仕方についてならかの改善を指示することも考えられる。もしもそうなると,日本でも食品安全委員会でそれも参考にして何らかの使用上の改善が打ち出されることも考えられる。今後の動きを注視する必要があろう。