No.245 「緑の革命」で減少した土壌の養分ストックが農業生産を抑制

●深刻性の問題提起

イギリスのウェールズにあるバンゴール大学の土壌・環境科学の教授であったジョーンズ教授(Professor D.L. Jones)は,土壌−植物−微生物系における養分や人体の病原菌の動態を主テーマに精力的に研究をしていた。そのなかで,「緑の革命」によって作られた多収品種に化学肥料を多投して,穀物単収が世界的に飛躍的に向上したものの,負の遺産が生じたことを問題にした。その1つは,作物の吸収しきれなかった窒素やリンによる環境汚染が深刻化したことだが,それに加えて,ジョーンズ教授は,都市と農村の分離による物質循環の崩壊にともなって,農村の土壌から収奪された養分が都市に集積していることと,微量要素の欠乏が途上国と先進国の双方で進行しており,そのために農業生産が抑制されはじめていて,微量要素欠乏が人々の健康に影響しつつあること下記論文で提起した。

D.L. Jones, P. Cross, P.J.A. Withers, T.H. DeLuca1, D.A. Robinson, R.S. Quilliam, I.M. Harris, D.R. Chadwick and G. Edwards-Jones (2013) Nutrient stripping: the global disparity between food security and soil nutrient stocks. Journal of Applied Ecology, 50:851-862

例えば,アメリカの研究によると,トウモロコシの栽培によって,トウモロコシによる吸収のために畑土壌中の亜鉛が約0.22 kg Zn/ha減少する。他方,イギリスの土壌調査データによると,農地表土の全亜鉛含量は250 kg/ha未満である。この場合,トウモロコシを100年間栽培すると,総計で20 kg Zn/haが土壌から収奪されることになる。土壌によっては亜鉛の賦存量が低いものもあり,トウモロコシの多収穫をくり返していると,亜鉛欠乏が生じやすくなることになる。

以下,この論文の概要を紹介する。この論文は多くの人達の研究結果を引用して構築されたものである。

(2014年4月24日修正) 最終段落末の一部を削除した。この研究を紹介した当初のレポートで筆頭執筆者のジョーンズ教授が論文執筆中に亡くなった旨を記したが,亡くなったのは共同執筆者の1人のGareth Edwards-Jonesであり,ジョーンズ教授ではない。この点を訂正する(K.M.氏のご指摘による)。

●途上国(インド)の例

増え続けている都市人口を養うために,農村の土壌から収穫物の形で養分を搬出していることが,先進国と途上国の双方において持続可能な生産を達成する上で大きな障害となっている。昔なら,農村において土壌から作物に収奪された養分はそこで消費されて,農村の土壌に還元された。しかし,現在では,農村と都市が分離し,特に途上国では搬出された養分量を補充するだけの施肥がなされていない。

世界の土壌をみると,北ヨーロッパや北アメリカのような,1万〜数十万年前に起きた火山活動や氷河作用などによる撹乱作用後に作られた比較的若い土壌に比べて,オーストラリアや東南アジアなどの,数十万年よりも古くて高度に風化した土壌では,風化による造岩鉱物の崩壊と,それにともなうアルミニウム,鉄などの放出による作物生育の阻害作用や,塩基性陽イオン,リン,微量要素の溶脱や難溶化によって,作物の利用できる多量および微量要素のレベルがより低くなっている。

こうした古い土壌での熱帯や亜熱帯の自然植生は,植物体内での養分リサイクリング,共生関係,ゆっくりと時間をかけた生育などによって,養分ロスを最小にして生産力を維持する一連の戦略を進化させてきている。こうした自然の仕組みよって,土壌の養分ストック量は何世紀にもわたって定常状態近くに維持できている。ところが,未耕地を農地に転換して作物を栽培すると,大部分の作物は低養分条件に適応しているものはほとんどなく,肥料を施用しないと経済的な収量を上げることができない。肥料を施すにしても,良くてN,P,Kの3要素を施肥するだけで,微量要素を施用することはない。このため,土壌の微量要素ストックは急速に減少してしまう。

インドは,肥料の生産量かつ消費量が世界3位の国である(N,P2O5,K20合計の年間消費量が20.3×100万トン)。インドでは,2004-05年に穀物の需要量が193×100万トンだったものが,2020-21年には262×100万トンに増えると予想されている。このため,インドは農業改革プログラムで,灌漑農地での穀物収量を,1960年の1.1トン/haから,2010年には2.5トン/haに倍増させた。この農業生産の増加の少なくとも50%以上は,肥料によると考えられていて,農業におけるサクセスストーリーのように思われている。しかし,実際にはこの収量は潜在収量よりははるかに低く,最近の肥料施用量が増加しているにもかかわらず,三要素合計養分のkg当たりの穀物収量は,1970年の13.4 kgが,2005年には3.7 kgに減少し,要素の利用効率が大きく低下している。ただし,インドでは三要素のうち,穀物に実際に施用されているのはNとP2O5で,K20はあまり施用されていない。

利用率の低下は,硝酸による表流水と地下水汚染や亜酸化窒素発生の増加を起こし,さらに土壌侵食や土壌炭素貯蔵量の減少も生じている。残念ながら,窒素とリンの施用だけでは土壌肥沃度減少を防止できないことを,農業者が十分認識していない。インドはカリ無施用で、数10年にわたってカリを収奪し続けられてきており,そのために多くの地域で収量が低く抑制されている。

さらに,インドの土壌では,現在,イオウが40%,ホウ素が33%,鉄が12%,銅とマンガンが5%未満の土壌で,微量要素欠乏が生じている。こうした養分欠乏は通常是正されず,水不足も加わって,窒素やリン肥料の利用効率を引き下げている。カリ不足の補正だけで,窒素の利用効率を10-90%向上できることが示されている。こうした事態が続くと,将来的には,ヨウ素,銅,モリブデン,コバルトといった新たな微量要素欠乏が生ずる可能性も指摘されている。

このため,こうした事態を改善するために,総合的養分管理,栽培作物の多様化,マメ科作物の栽培などが緩和戦略として主張されているものの,都市化の増大によって収穫物は都市に集積して農村に戻されていないため,その生産のために必要な有機肥料資源が農村で不足したままになっている。

●先進国(イギリス)の例

イギリスの土壌は比較的若く,土壌の養分ストックの賦存量はインドなどに比べてはるかに多いが,多量元素と微量元素の双方で養分のアンバランスが生じている。イギリスでは戦後,農業の集約化が急激に進み,例えば,コムギ収量は過去50年間に肥料や農薬などの投入によって2トン/haから10 t/haに増加した。イギリスでは農業システムが地理的に分離され,国の西部には牧草ベースの家畜生産,東部には耕種農業,養豚と養鶏が集中している。さらに,イギリスの人口の80%超は大きな町や市に住んでいる。こうした国土の構造のために物質循環が歪んでいる。

第一に,西部地域における家畜生産でのリンの供給と需要をバランスさせるには,年間280万トンの家畜ふん尿を東部に搬出する必要があると計算されている。しかし,西部の牧草地地域から東部の耕種地域への家畜ふん尿のリサイクル量は激減し,牛ふん尿資材を受け入れているのは穀物地域の約30%だけで,耕種作物は無機化学肥料に大きく依存するようになっている。

第二に,家畜生産システムは集約化の一方で,家畜ふん尿の農場外への搬出が少ないために,家畜生産セクターでは窒素やリンの過剰が生じ,農地から地下水や表流水にロスされる養分量が増えている。イギリスでは,あまりにも過度であった飼養密度を,EUの「硝酸指令」に準拠して低下させるとともに,肥料使用量を減少させて,農業全体での余剰養分量を減少させてきているが(環境保全型農業レポート「No.231 イングランドが硝酸脆弱地帯の農地管理規定を強化」を参照),土壌に蓄積した

養分が,今後数十年にわたって水質汚染を引き続き起こすと予測されている。

第三に,都市化の増大によって,農村地域から都市部への養分の流れが増大し,これらの養分のほとんどが農地にリサイクルされていない。例えば,全下水汚泥生産量(Nで59,000万トン,Pで45,000万トン)のうち,農地にリサイクルされた割合は1980年代の約40%から,2010年にはほぼ80%に増えてきてはいるが,農地面積の約2%しか下水汚泥を受け入れていない。それは,搬送システムや輸送コスト,農業者が抱いているマイナスイメージ,園芸作物などに対するスーパーマーケットからの施用禁止指示による。イギリスでは下水汚泥として回収されずに,下水道から河川に放流されている養分量は,年間,窒素が約1億8400万トン,Pが4,300万トンに達し,河川や海洋の水質汚染を引き起こしている。

第四に,イギリスでは微量要素欠乏は限られた土壌で生じているものの,広範囲の土壌では生じていない。しかし,イングランドとウェールズを合わせた値で,1968/69年と2009/10年を比較すると,コムギの栽培面積は94.1万が167.3万に増加し,単収の飛躍的増加が生じたために,コムギの生産量は331.4万トンが1325.6万トンに増えた。コムギによって土壌から収奪された微量要素量は,Cuは1.2856万kgが5.2094万kgに増え,Znは7.3709万kgが29.8673万kgに増えたと試算される。そして,2009-2010年に採取されたイギリスの耕地土壌のCu,MnとZnの濃度を,30年前に採取されたものと比較すると,微量元素含量の中央値で,Cu,ZnとMnは,それぞれCuが4.9から3.5 mg/kg,Znが4.6から3.6 mg/kg,Mnが114から70 mg/kgに低下したことが確認されている。明確に微量要素欠乏症状が顕在化した土壌は増えていないが,農業の集約化によって農地土壌の微量要素含量が減少しているは確実である。

現在の農業技術指導では,土壌分析ないし植物分析で微量要素の欠乏症状が確認された場合か,生じやすい土壌タイプでの受けやすい作物だけに対策が措置されるだけである。しかし,こうした方針では今後の微量要素含量レベルの低下によって生ずる微量要素欠乏の発生リスクに対処しきれないであろう。

●どう対処するのか

微量要素欠乏に対する対処方法を,要する期間の長さにわけて次のように整理している。

A.短期的対処(1年内

これまでは作物に微量要素欠乏が生じてから,短期的対処として,微量要素の葉面散布(生育期間中に微量要素欠乏を直せる)や土壌施用(次の生育シーズンに直す)を行なっている。しかし,このためには,農業者や農業指導者が作物の微量要素欠乏症状を良く認識していることが前提であり,必要な知識の教育・普及を確保することが大切である。

B.中期的対処(25年間)

もう少し長い期間をかけて,農業者が微量元素の土壌ストックを再構築することが大切である。そのためには,家畜ふん尿などの有機物の定期的土壌施用を奨励する戦略が必要である。しかし,家畜ふん尿については,これまで多量要素や有害重金属について知見が集積しているものの,その微量要素含量や必要な施用量などについての知見は不足している。また,家畜生産システムから耕種システムに家畜ふん尿資材を輸送するのは,必ずしも経済的に引き合わず,流通促進のための方策が必要になっている。しかし,家畜ふん尿などの有機物の施用は,微量要素の補給だけでなく,土壌構造の改善,土壌の水分保持容量の向上,根系の発達によって,土壌中の微量元素の利用性も向上させる。

C.長期的対処(5年超の期間)

しかし,本論文が最も強調するのは,農業生産と人間の健康の長期的な持続可能性を確保する観点から,次を目指した新しい食料生産システムを再設計することである。

(i) 農村の生産者と都市の消費者の間の,養分循環ループを完結させる。

(ii) 多量要素だけでなく,微量要素の土壌養分ストックの減少についての認識を高める。

(iii) 失われた微量元素ストックを元に戻す,経済的活力のある戦略を策定する。

(iv) 新しい食料生産システムのなかで,生態系サービスを発揮させる。

このためには,必要な方策を用意する必要がある。その1つは,土壌管理戦略と,作物育種や作物管理の戦略の統合を図ることである。微量要素欠乏を防止する土壌管理戦略としては,土壌の微量元素の可給性を確保する土壌pHの調節,微量要素と結合して不溶化させる土壌のリン酸濃度の引き下げ,土壌侵食による微量要素の物理的ロスの防止,葉面散布,肥料や有機改良材による微量要素の土壌施用などがある。

他方,我々は化学肥料に頼りっぱなしになって,作物が土壌養分を獲得する能力を有していることを忘れ,それを生かしていない。例えば,作物は,根を深くまで張ったり,根圏pHを変えたり,微量要素を溶解する物質を分泌したりして微量要素を吸収でき,また,菌根菌の共生によって吸収領域を拡大するといったメカニズムを有している。こうした作物の能力を高める作物育種戦略と,それに基づいた作物育種に取り組むことが望まれる。しかし,こうした育種が成功すると,微量元素の土壌からの収奪を促進することになる。

このため,総合的作物および土壌モニタリング・指導態勢を構築しなければならない。そのためには,農学者,土壌学者や人間の栄養学者の参加を得た学祭的アプローチを行なって, (i) 作物および土壌の欠乏症診断基準の設定,(ii) 作物の目標収量達成のために必要な土壌の微量元素含量についての基準値の設定,(iii) 多量要素についてと同様な,無機肥料や有機資源による微量元素の最適供給方法の実践的ガイドラインの策定を行なうことが必要である。これらの策定に際しては,土壌タイプ,作付システム,気候を考慮することが必要である。

こうした新しい食料生産システムを構築することは容易ではないし,個々の農業者の責任もあるが,国際的協力を必要とする社会の課題だということを認識することが大切である。

●フィンランドにおける化学肥料へのセレンの添加

短期的対処に示した土壌施用の例として,肥料に微量要素を添加しているフィンランドの例を紹介する。フィンランドでは,1970年代に食品中のセレン(Se)含量が低いために,国民のセレン摂取量が少ないことが問題になった。セレンが欠乏すると,心筋症や心血管系死亡などが生ずる危険がある。フィンランド政府は,1984年秋から複合肥料(3要素のうち,2要素以上を含む化学肥料)にセレン酸ナトリウムを6 mg Se/kg NPK添加することを施行した。その効果を1984〜1986年にかけて市販食品中のセレン濃度をモニタリングした結果,例えば,1984年と1986年の食品中の平均濃度の一部を紹介すると,小麦粉は0.06±0.03が0.16±0.04 mg/kg乾物に,牛肉は0.17±0.06が0.46±0.08 mg/kg乾物に増加した。これによってフィンランドのセレン濃度の低い食品が改善され,国民の健康への不安も払拭された(Varo, P.,G.Alfihan, P.Ekholm, A.Aro and P.Koivistoinen (1988) Selenium intake and serum selenium in Finland: effects of soil fertilization with selenium. American J0urnal of Clinical Nutrition 48: 324- 329. )。

また,中国東北部の低セレン地域に見られる克山(けしゃん)病はセレン欠乏とされ,肥料にセレン添加がなされてきた。しかし,最近の研究で,克山病はセレン欠乏に加えてウイルス感染の2重原因によるとされている( Beck,M.A., O.A.Levandery and J. Handy. (2003) Journal of Nutrition. 133(5): 1463S-1467S)。

なお,日本ではセレン欠乏が問題になることは通常ないが,ミネラルのサプリメントのなかにはセレンを比較的高い濃度で含むものがあり,セレンの過剰摂取による障害がでる危険のあるケースもあることが,東京都福祉保健局から警告されている。

●おわりに

人口の都市への集中,農業部門の専作化・規模拡大,耕種部門と家畜生産部門の分離,これらによる養分の都市と家畜生産部門への集積が深刻化していることは既に多くの人達が憂慮し,指摘していることである。それに加えて,本論文は「緑の革命」による作物の飛躍的多収穫によって,土壌からの微量要素の収奪が増えており,途上国では多量要素の一部しか施用しないため,既に微量要素欠乏が深刻化しているケースが多いことと,先進国でも微量要素欠乏拡大の可能性が高まっていることを指摘した。

こうした問題点をながめると,昔の小規模有畜農業(日本では家畜が少なく,1953年に「有畜農家創設特別措置法」を公布して有畜農家の育成を目指したが,間もなく小型農業機械の普及によって有畜農業はあまり増えなかったが・・・)によって養分が農場内で循環され,農業人口が圧倒的に多くて小規模な都市とその周囲の農村で物質循環が行なわれた時代に戻るのが良いということになろう。しかし,それはもはや不可能であろう。

家畜ふん尿を畜産部門から耕種部門に輸送するのに,欧米のスラリー方式は適していない。その点,堆肥化方式が多い日本の方が有利といえるが,堆肥化には様々な問題が存在していて容易ではない。また,食品工場,レストラン,スーパーなどからの食品廃棄物の堆肥や家畜飼料としての利用は,徐々にだが,増えてきているものの,都市から排出される下水汚泥の循環は,工場からの廃水も流入しているために,有害物質の混在によって難しい。

本論文は解決策を提示できないまでも,改めて問題の深刻さを提起した。