No.202 ヨーロッパの河川における水質汚染の動向

〜河川水養分濃度の長期変化と法的規制の効果

●EUの水への養分排出を規制している法律

EUでは,河川,湖沼,河口,沿岸水などの表流水や地下水の水質保全を図るためにいろいろな法律を施行している。その中で重要なものが「水枠組指令」である(環境保全型農業レポート.No.34 欧州の水系汚染対策)。

農業からの硝酸の排出を規制する「硝酸指令」(農業起源の硝酸による汚染からの水系の保護に関する閣僚理事会指令(91/676/EEC))や,都市の生活廃水を下水処理した後に河川に放流できる処理水の条件を規制する「OECD (2008) OECD environmental data. Compendium 2006-2008. Inland Waters. とその後のものを使用した。このOECDのデータ集から,対象地域の39の河川の河口付近のモニタリングステーションの硝酸,アンモニウム,全リンの濃度の1985年から2005年の測定値を利用した。これに加えて,バルト海とドナウ川に関する51のデータを他のソースから入手した。

 詳細は省略するが,分析を行なうために,いろいろなデータベースを活用して,1985,1990,1995,2000と2005年について,1 kmグリッド(格子)の土地利用マップ,1 kmグリッドの養分(化学肥料と家畜ふん堆肥)施用量マップ,1 kmグリッドの都市と農村に分類した人口分布マップと,それに基づいた下水処理プラントからの養分排出マップなどを作成した。

海に排出している河川の流域別に,これらのデータの総計を計算した。そして,流域別に「2005年養分施用量−1990年養分施用量」を計算した。また,国全体での養分収支,つまり,「窒素収支=無機態窒素施用量+家畜ふん尿窒素施用量+大気降下窒素量+共生的窒素固定量+非共生的窒素固定量−作物窒素吸収量」を計算した。リン収支も同様に計算したが,リンについては大気降下量を無視した。

●養分収支についての主な結果

◆西ヨーロッパの大部分の国では,窒素余剰を1960年代と1970年代に増加させた後に減少させた。EU(15)のうち,スペインだけが窒素余剰を絶えず増加させている。

◆東ヨーロッパの国々では,経済破綻のため,窒素余剰を,ソビエト連邦崩壊直前の1990年に急激に低下させた後,農業活動を復興させて,窒素余剰を増加させている。

◆いくつかの国(デンマーク,オランダ,イギリス,ドイツ)では,窒素余剰が,硝酸指令が採択された1991年以前から減少し始めていたことが注目された。これらの国では,養分の作物吸収を向上させる農業方法と組み合わせて窒素ロスを軽減させることを目的にした国の法律が,硝酸指令に先立って施行されていたためである。例えば,デンマークでは,1980年代中期から窒素余剰管理が開始され,同時に「水環境に対する行動計画?」の施行によって農業から流出する窒素の削減が課せられた。

◆リン余剰は,窒素余剰よりもずっと早くから減少し始めた。これはリンの土壌蓄積レベルが向上して,リンが作物生産の制限要因でなくなったことによるのであって,リン施用を規制する法律の施行によるのではない。ヨーロッパではリン施用量を直接規制する法律を有する国の数は限られ,オランダ,アイルランド,ノルウェー,スウェーデンにすぎない。例えば,オランダでは,1960年代中頃から無機肥料によるリンの施用量は大幅に減少し続けたものの,家畜ふん尿からのリンの排泄量の過剰が問題であった。

◆1990年と2005年の間に窒素施用量の増加を示している西ヨーロッパの国々を流れる大きな河川は,フランスのロアール川とローヌ川,イタリアのポー川,ドイツのウェーザー川であった。リンについては,スペインだけが国土全体で施用量の増加を示した。残りのヨーロッパでは,大部分の河川流域でリン施用量が減少した。

◆1990年と2005年の間に,特定汚染源の下水処理プラントからの窒素とリンの排出量は,イングランドとスペインを除いて,ヨーロッパの大部分で減少した。これは,下水処理プラントの性能向上による。イングランドについては,排水処理プラントにつながった人口や処理レベルの経時的データが入手できず,調査期間を通して同じ値を使用したため増加という結果となった。スペインでは,排水処理プラントにつながった人口が増えたことによる(接続率は,1990年の約42%が2005年に100%に増加)。

◆全体的にみると,EU(15)では,1990年と2005年の間に,窒素余剰は 9.6×106トンが 6.6×106トンへと,約32%減少した。養分施用量(無機,有機および作物固定)は13%減少しただけなので,窒素余剰の減少の大方の部分は窒素利用効率の向上によって説明できた。同じ期間にEU(15)における下水処理プラントからの窒素の排出量は約 1.0×106トンで安定していたが,国間で大きな差があり,例えば,ドイツで40%,オランダで60%減少したのに,スペインでは100%の増加が生じた。

●河川水質の動向に関する主な結果

◆1990年と2005年の間に,河口近くのモニタリングステーションで,硝酸濃度が減少傾向を示したものは約30%,増加傾向を示したのが10%であった。北海に流入している大きな河川の大部分では硝酸濃度が減少傾向を示し,特にドイツのエルベ川,ライン川とウェーザー川で顕著な減少傾向が認められた。同様な急速な減少はデンマークのオーゼンセ川流域でも見られた。他方,イングランドのマージー川は,ヨーロッパで最もひどく汚染された水を河口に放出しており,硝酸濃度は1991年の 3 mg N/Lから2004年には農業と特定汚染源の双方の寄与によって約 6 mg N/Lに跳躍的に増加した。

◆河川水の硝酸濃度に下水処理プラントと農業の双方が寄与していることは他の河川流域でも認められ,相関分析でも確認された。

◆河川水のアンモニウム濃度は硝酸よりもはるかに低いが,アンモニウムは特定汚染源の下水処理プラントからの排水によるのであって,非特定汚染源(窒素施肥量)によるものではないことが相関分析によって確認された。

◆1990年と2005年の間に,無機態窒素濃度(硝酸とアンモニウムの合量)が減少傾向を示したモニタリングステーションは39%,増加傾向を示したのは13%であった。

◆バルト海地域のステーションの大部分は,早くから無機態窒素濃度が低くなっていて,特段の傾向は認められなかった。トルコ,ギリシャ,スペインの一部では無機態窒素の増加傾向が認められたが,これは農業の集約化と,下水処理プラントからの排出量増加によって説明できた。ボスニア湾に排出しているフィンランドの4つの河川水の無機態窒素が増加していた。この増加は集約農業と開墾した泥炭地からの硝酸排出量の増加によって説明される。ロアール川(フランス)やドエロ川(スペインとポルトガル)でも無機態窒素の増加傾向が認められており,農業の集約化による硝酸の増加によっている。地中海に流入している3つの大きな河川の無機態窒素濃度は,傾向なし(ポー川)か,減少傾向(エブロ川とローヌ川)を示した。

◆河口付近のモニタリングステーションについて全リン濃度の時系列変化みると,増加傾向を示したステーションが3%,減少傾向を示したものが32%であった。全リン濃度は非特定汚染源(農地へのリン施用量)とも有意のプラスの相関を有していたが,それよりも特定汚染源(下水処理プラント)からのリン排出量との間にはるかに強い有意の相関を示し,下水処理プラントからの排水が最も大きな排出源であることが示された。

◆バルト海沿岸の河口に近いモニタリングステーションの大部分では,全リン濃度が減少しており,下水処理プラントのリン除去能が改善されたことが推定された。ドイツの河川では,ライン川の全リン濃度が1991年前に急激に減少し,その後は安定しているが,他の河川では減少傾向を示している。西ドビナ川(ラトビア)では,上流のロシアの都市や工業から流入するリン量の増加によって全リンが増加傾向を示している。

●エルベ川とロアール川でのケーススタディ

◆EUでは,硝酸排出を規制する厳しい法律によって窒素余剰量が減少しているにもかかわらず,表流水の硝酸濃度が増加している地域も存在する。そこで,窒素余剰が減少し,かつ,河川の硝酸濃度が減少傾向を示してエルベ川(ドイツ)と,窒素余剰が減少しているにもかかわらず,河川の硝酸濃度が上昇しているロアール川(フランス)について,なぜロアール川のような状態が生ずるかを分析した。

◆説明を省略するが,各年次における河川の流量と硝酸濃度のデータから,基底流(無降雨の低水量時の流れで,主に地下水由来の流れ)と地表流出水(降雨によって増水したときの流れ)の流量と,それぞれの硝酸濃度を推定した。

◆エルベ川では,硝酸濃度は,地表流出水中のほうが基底流よりも高いが,流量は基底流(地下水)のほうが多いため,基底流に由来する硝酸量のほうが地表流出水に由来するものよりも多く,2005年で基底流が総流量の75%,硝酸の総負荷量の63%に寄与していた。そして,基底流の硝酸濃度が1980年代後半から減少し始めていることが注目された。基底流の硝酸濃度とドイツの国全体での窒素余剰の間の相関をみると,非常に高いプラスの有意の相関があり,窒素余剰と基底流濃度の間に8年間のラグタイム(遅れ)があることが示された。つまり,窒素余剰の変化が基底流や浅層帯水層の窒素濃度に影響するまでに,8年間の経過が必要であることが示された。なお,窒素余剰と地表流出水の硝酸濃度の間には有意の相関が見られなかった。

◆ロアール川では,1990年代前半まで,硝酸濃度は,地表流出水中のほうが基底流よりも高かったが,それ以降は基底流のほうが高くなっていた。そして,2005年において基底流が総流量の75%に,全窒素負荷量の83%に寄与しており,硝酸濃度は地表流出水( 3.4 mg N/L )よりも基底流( 4.7 mg N/L )のほうで高いと推定された。つまり,エルベ川と異なり,ロアール川では地表流出水よりも地下水の硝酸濃度が高く,その増加傾向は1990年以降も続いている。そして,フランス全体の窒素余剰と基底流濃度との間にプラスの相関があり,14年の遅延があった。つまり,基底流の硝酸濃度の増加は,14年前に起きた窒素余剰によっていた。ロアール川において窒素施用量が少なくとも2005年まで増加したことを考慮すると,地下水の硝酸濃度は,今後10年以上増加するであろうと推定される。

●EUの法的規制の影響

◆EUでは,水系の養分量に影響を与える2つの法律(硝酸指令と都市廃水処理指令)が約20年間施行されている。しかし,両法律に対する違反事例も,EU(15)の多くの国で報告されている。

エルベ川では,硝酸濃度の減少(総濃度と基底流濃度)は硝酸指令や都市廃水指令の施行前から始まっていた。そして,窒素余剰の減少の影響が眼に見えるようになるには約8年を要することが示された。このため,エルベ川の水質改善は,これら2つの法律前になされた努力によって始まり,1991年の法律の施行によって減少傾向が再強化ないし維持されることになった。同様に,デンマークのオーゼンセ川でも,硝酸濃度の減少が,硝酸指令や都市廃水指令が施行される前に実施された厳しい環境政策の結果,1980年代に始まっていた。これと異なり,ロアール川では窒素施用量の増加が1991年以降も長く続き,過去の過剰施肥と結びついて,地下水水質を劣化させている。この水質劣化は少なくとも14年以上続くと予測される。

●結論

農地から地下水に溶脱する窒素の動きは遅く,施肥や家畜ふん尿の規制を行なっても,その効果が水質改善に現れるにはラグタイムがあり,直ぐには効果が出てこない。まして,違反行為がくり返されていると,水質改善効果は現れるのはさらに遅れてしまう。