No.169 都市農業は地下水の硝酸性窒素汚染を起こしていないか

●地下水の水質調査

 「水質汚濁防止法」で,都道府県知事は,地下水の水質の汚濁の状況を常時監視し,その結果を環境大臣に報告することが義務づけられている。そして,都道府県は,1989年の環境庁水質保全局長通知「水質汚濁防止法の一部を改正する法律の施行について」とその別紙をガイドラインとして,地下水の水質調査を毎年実施している。

 地下水調査は3つのカテゴリーで実施されている。

 (1) 基本になる調査は,地域の地下水水質の全体的な状況を把握するために実施する「概況調査」である。すなわち,都道府県の市町村を市街地では1〜2 km,その周辺地域では4〜5 kmを目安としてブロックに分割し,そこを代表する井戸を選定して,井戸水の水質を年1回以上分析する。毎年全ブロックを調査するのには多大な負担が必要なので,4年ないし5年以内に全ブロックを一巡するローリング方式で調査されているケースが多い。

 (2) 概況調査によって新たに発見された,または事業者からの報告などによって新たに明らかになった汚染については,その汚染源から500 m程度の範囲内にある井戸を調査して汚染範囲を確認するとともに,汚染原因の究明に資するためには,「汚染井戸周辺地区調査」を実施する。この調査は土壌汚染が判明した場合にも実施している。

 (3) 汚染地域については継続的監視を行なうために,「継続監視調査」が行なわれている。

 測定結果は,都道府県がインターネットなどで公表している。上記の環境庁水質保全局長通知には,公表に際しては「関係者の正当な利益の保護との関連も考慮し」と記されていて,その考慮の仕方の違いから,公表の仕方は都道府県で異なる。測定地点の位置とその測定値を公表している例が多いものの,個々の測定地点の位置と測定値を記載せずに,全測定地点数と測定結果の範囲だけを示している例もある。

●都市農業は地下水の硝酸性窒素汚染を起こしていないか

 我が国でも野菜,果樹,茶樹,家畜などを集約生産している農村地帯では,地下水の硝酸性窒素汚染が深刻なケースが多い(環境保全型農業レポート「No.71 2005年度地下水の硝酸汚染の概要」,「No.77 日本での井戸水が原因の新生児メトヘモグロビン血症事例」)。ところが,大都市内の農地面積率は農村部よりも小さい上に,大都市では上水道が完備していて,地下水を飲料水に利用しているケースが極めて少ないために,都市農業による地下水の硝酸性窒素汚染については関心が低い。しかし,実際にはその可能性はどうなのだろうか。東京都の地下水についてこの問題を論議してみる。

 東京都は区市町村を268のブロックに分けて,4年1巡で地下水の水質を調査し,その結果を公表している。その2005〜08年度の概況調査結果のうち,硝酸性+亜硝酸性窒素濃度をブロックの分布図に重ね合わせて,「東京都の地下水の硝酸性+亜硝酸性窒素濃度の分布図」を作成した(図1)。なお,一部のブロックについては2つの測定結果が記載されていた例が存在したが,そのうちの高い濃度を用いて分布図を作成した。また,水質汚濁法の地下水の環境基準および水道法の水質基準は,硝酸性+亜硝酸窒素濃度を10 mg/L以下としているので,10.0 mg N/Lは基準超過でなく適法であるが,図では10.0 mg N/L以上を最も高い濃度範囲とした点に注意していただきたい。

 地下水の硝酸性+亜硝酸性窒素濃度(以下「硝酸性窒素濃度」と略記する)の分布は,全体として,東側の低地を主体とした区部(足立区,荒川区,江戸川区,墨田区,江東区,台東区,中央区,千代田区,港区,渋谷区)では,硝酸性窒素濃度が1 mg/L未満と極めて低かった。また,西側の丘陵・山間部の奥多摩町,檜原村,青梅市,日の出町,あきる野市では,大方のブロックが5 mg/L未満であった。そして,中央部の台地上の区や市には硝酸性窒素濃度の高いブックが多く,練馬区,板橋区,世田谷区,清瀬市,西東京市,日野市,町田市には硝酸性窒素濃度が10 mg/L以上のブロックが存在した。

 この硝酸性窒素濃度の分布パターンは一見東京都の区市町村の農地面積率の分布とおおむね重なる。図2は,環境保全型農業レポート「No.165 春先に深刻な農地の風食とその抑制策」に示した2005年における区市町村別の農地面積率をマップ化したものである。図2に示すように,東側の低地の区部には農地がほとんどなく,西側の丘陵・山間部では森林面積率が高くて,農地はあるものの市町村の農地面積率は低い。そして,中央部の台地には農地面積率が比較的高い区や市が多く存在している。

 このように東京都における区市町村の農地面積率と地下水の硝酸性窒素濃度の分布図とが類似した傾向を示している。

●東京都の地下水の窒素汚染を調べた既往の研究の概要

 (1)東側の低地の区部では下水管の漏水が主原因

 東京都の地下水の汚染状況とその原因を調べた既往の研究をみると,東側の低地の区部では,硝酸性窒素濃度が低いものの,その代わりに,硝酸性窒素よりもアンモニア性窒素が卓越し,しかも,アンモニア性窒素濃度がかなり高いケースが少なくなかった。この原因として,下水管からの漏水が推定されている。すなわち,東側の低地には古い下水管が少なくなく,しかも,砂質の沖積層で,地震で大きく揺れやすい地域も多く,そうした場所で窒素濃度が高いことから,下水の漏水が汚染源であり,かつ,地下水が還元状態にあって,アンモニア性窒素が卓越していると推定されている(黒田啓介・福士哲雄・滝沢智・愛知正温・林武司・徳永朋祥 (2006) 東京都区部の地下水汚染の特徴と汚染源の推定.用水と廃水.48: 769〜777;黒田啓介・片山浩之 (2007) 都市域における地下水汚染と汚染源の推定法.日本水環境学会誌.30: 497〜501)。

 (2)中央部の台地では畑からの肥料が原因のケースが多い

 では中央部の台地で硝酸性窒素濃度が高い原因は農業であろうか。多摩地域の地下水水質を調べた研究によると,多摩地区には硝酸性窒素濃度が基準値の10 mg /Lを超えた井戸が少なくなく,特に多摩北部には高濃度の井戸が多く存在し,硝酸性窒素濃度が持続的に高い井戸は,ほとんどの場合,畑などに隣接しており,汚染原因として施肥の影響が大きいと推定されている(宇佐美美穂子・鈴木俊也・楠くみ子・稲葉美佐子・岡本寛・石上武・矢口久美子 (2009) 東京都多摩地域飲用井戸水における水質検査結果.水環境学会誌.32: 505〜511)。

 (3)安定同位体比を用いた汚染源の推定

 汚染源をもう少し直接的に推定する方法として,安定同位体比を用いる方法がある。窒素の場合,自然界に存在する窒素元素の大部分は,放射能を持たない質量14のもの(14N)だが,ごく少量だが,やはり放射能を持たないが質量15の同位体(安定同位体)(15N)も存在する。この質量の異なる窒素の2つ安定同位体比(15N/14N)はサンプルによって異なる。大気中の窒素ガスの安定同位体比を基準にして,サンプルの安定同位体比がどれだけ大きいか小さいかによって,サンプル中の窒素が,主に降雨,化学肥料,家畜ふん尿,生活排水のいずれに由来するかを推定することができる。

 この手法を用いて,東京都の青梅市や瑞穂町に隣接する埼玉県の入間市,所沢市と狭山市の地下水の硝酸性窒素汚染源を推定した研究によると,(1)下水道が整備されていて,上流部に茶畑があって,安定同位体比が比較的低く,化学肥料の影響の強い地域,(2)畑作地帯が多く,人口密集地には下水道が整備されていて,安定同位体比が多少高めであり,化学肥料の影響を受けながら,そこに存在した硝酸イオンが脱窒を受けて,安定同位体比が多少高くなっている地域,(3)下水道が整備されておらず,安定同位体比が高く,生活排水によって高い安定同位体比が生じている地域を分類している(小川祐美・田瀬則雄・檜山哲哉・嶋田純 (1998) 埼玉県金子台地付近における不圧地下水の硝酸性窒素の起源に関する 一考察.日本水文科学会誌.28: 125〜134安定同位体比 )。

 東京23区(低地側の12区と台地側の11区)から採取した地下水サンプルについて,アンモニア性窒素の窒素安定同位体比を調べた結果によると,アンモニア性窒素が高いほど窒素の安定同位体比が高い傾向があり,低地側では下水管からの漏水が主因と推定された。そして,硝酸性窒素の窒素安定同位体比を調べた結果,硝酸性窒素濃度の高い地点のなかでも,窒素安定同位体比の低かった地点が目黒区や練馬区などでみられた一方,窒素安定同位体比の高かった地点が文京区や渋谷区などでみられた。世田谷区や杉並区などでは,あまり硝酸性窒素濃度が高くなかったのに,窒素安定同位体比が高い地点も見られた。これらのうち,硝酸性窒素の窒素安定同位体比が高い地点では少量の下水の漏水が考えられ,窒素安定同位体比が低い地点では肥料や地質由来のものが主要因となっていて,一部下水の漏水が含まれる可能性があると推定された(福士哲雄 (2008) 安定同位体比を用いた東京の地下水水質影響因子の解析.東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士論文概要)。

●おわりに

 都市農業は緑の空間を作って,都市住民にやすらぎや災害時の避難場所を提供するなど,プラスの公益的機能を発揮している。しかし,環境保全型農業レポート「No.165 春先に深刻な農地の風食とその抑制策」に述べたように,春先に風食を起こして都市住民に嫌われるケースが多いが,それに加えて,地下水の硝酸性窒素汚染を起こしているケースも少なくない。大都市では地下水を飲用水に使用しているケースは極めて少ないと冒頭部分で述べたが,宇佐美ら(2009)(前出)によると,1997年の調査だが,多摩地区で約3000か所の井戸が飲用に利用され,そのうちの15.8%(500か所弱)では水道が布設されてなく,唯一の飲用水源として利用されているし,事業所や病院などには井戸水を利用する傾向が増えてきているという。こうした面からも,都市農業でも正しい施肥管理を行なって,地下水の硝酸性窒素を起こさないことが,農業が地域住民から支持されるために不可欠であろう。