『日本農書全集』は、日本各地の篤農家が子孫や近隣農民に向けて著わした「地域農書」、農業指導者が全国の農民に向けて刊行した『農業全書』や『広益国産考』などからなる第1期35巻と、「特産」「農産加工」から「農村振興」「開発と保全」など、地域振興や環境保全を含む15のテーマにおよぶ第2期37巻からなる全72巻の一大叢書です。
今回、本電子図書館に収録したのは、このうち、掲載許諾が得られた69巻です(第1期:34巻、第2期:35巻)。
このコンテンツは、昭和初期における日本各地の食の総体を記録した『日本の食生活全集』と双璧をなす国民的プロジェクトの、デジタル時代における再現といえましょう。
江戸初期の百年間は、戦乱の終息とそれにもとづく新田開発により、人口が三倍に急増する「高度成長」がありました。また、それまで輸入に頼っていた木綿や絹、砂糖、薬剤などの需要拡大と国産化、商品経済や流通手段の発達により、栽培技術の発展・普及・拡大が強く求められていた時代です。
こうした社会的・経済的要求に応え、中国の代表的な農書である『農政全書』を参考に、宮崎安貞がわが国の実情に応じて翻案した『農業全書』が版行され、広く全国に普及し、大きな力となりました。そしてそれが土台となり、さらに南北に連なり、海流や山岳など、複雑な自然・気象・風土環境の多様さや地域差に応じた、より実践的で多様な農書が、日本各地の篤農家によって編まれ、著わされて、それが口伝や筆写、版行によって広く普及し、大きなうねりとなって、生産性の飛躍的な向上や多様化、広域化の展開に大きく資し、時代を切り拓き、ひいては日本の近代化の土台となったのです。
こうした先人の自然と生産、生活に関する叡智をまとめた数多の農書は、わが国の複雑で多様な自然に向き合い、それを活用し、生産の向上、確保をするうえで重要な意味をもつ書物です。また、そこには国際化や消費ニーズの多様化、激動する時代に対応し、農業生産はもとより、家産や集落・地域を維持していくうえで、有意義な経験とヒントが満ち溢れています。
地域自然や作物と向きあい、その特性を活かしつつそれを守り、より豊かに育んできた「共存・共生」の知恵と工夫の集積、大成を実現したこの『日本農書全集』は、自然と乖離した今日のわれわれにとって、かけがえのない地に足のついた知の宝庫・集成として、さまざまな示唆と勇気を与えるツールとなるに違いないと確信し、ここに電子化いたしました。広くご活用いただければ幸いです。
以下は、1977年4月に発行の第1巻巻末に掲載された、本全集刊行開始にあたっての文章です。
社団法人農山漁村文化協会
私どもが日本農書全集の刊行を企画しはじめたのは、十数年も前のことであります。当時私どもの活動に好意を寄せて頂いていた数人の農書研究者に相談をもちかけましたところ、ことごとくこの企画に強く反対されました。
いうまでもなく、農書全集が世に出ることに反対なわけではなく、この出版は大赤字になることを予測されたからであります。そして十数年を経て、再び同じ先生方にご相談申し上げましたところ、今度は大賛成でありました。理由は、農文協も赤字に堪えられる程度に成長したという認定に基づくものでありました。
農こそは、それぞれの国の気候・風土にそわねばならぬ人間の営みであります。それぞれの国の気候・風土にそって発展してきた農の営みを述べた農書は、それぞれの国の農学者や農民が常識として読むべき書物であると思います。ところが、わが国では農学者さえ、外国の農書は読むことがあってもわが国の農書は読まないという不思議な習慣があるように思われます。
それが十数年前、農書の研究家が「出版しても赤字になる」という忠告をされた理由でありましょうし、今日、採算は合わなくても私どもが出版したいと決意しなければならない理由であります。売れないから出版しない。出版しないから読めない。この悪循環をたちきりたいと思います。農を研究され農を論じる方々が、その気になれば容易に農書が読めるような状態をつくりあげることが私どもの念願であります。それがいささかでも日本の学問の習慣をかえることにお役に立ちますならば望外の幸せであります。
編集委員
日本経済の高度成長と科学技術の進歩によって、われわれは自然を征服できるような幻想にとらわれていたが、今や日本は公害のモルモットとして世界から注目されている。資本主義による汚染は環境や肉体にとどまらず精神構造にもおよんで、国際的スキャンダルさえも恥としない風潮や謀略が横行している。このような末期的汚染状況ではあるが、われわれは、人類の英知にその滅亡から自らを護りぬくことを信じたい。自然の征服を企むのではなく、自然の法則を学びながら自然の力をより多く発揮させ、われわれの福祉を創造することによってこそ、自らを資本のしもべから解放できるに違いないと確信する。
ここに、自らの非力をも顧みず、われわれが日本近世の農書の現代語訳に着手したのは、正にこの確信に発する。苛烈な封建的収奪のもと近代科学の洗礼をうけていない状態においての農民がいかに自然に順応しながら農業生産を高め、いかに四季の変化に対応してその生活を豊かにしていたかを学びたい。それは自然に随順するようでかえって農民の主体性を強く浮かび上がらせるであろう。土地と生物を相手とする農業において、資本主義による破壊と汚染は最も強く、かつ広汎にあらわれている。この現状に対し、ここに選ばれた農書は、農業の本来のあり方、自然とのとりくみ方について、近代科学の視点からみても充分に貴重な教訓を与えるであろうし、都市と農村とを問わず現代人の生活に対しても有益な示唆を供するに違いない。
この現代語訳の試みが、単なる自然回帰運動や偏った農本主義、安直な土着思想等々にもとづくものでないことは、以上によって理解していただけるであろう。われわれ自身の生産と生活を資本のくびきから解放し、主体性をとりもどすよすがとして、先人の残した農書に親しみたいと思うのである。
第1期:山田龍雄(九州大学) 飯沼二郎(京都大学) 岡光夫(同志社大学) 守田志郎(名城大学)
第2期:佐藤常雄(筑波大学) 徳永光俊(大阪経済大学) 江藤彰彦(久留米大学)
近世農書・『耕作噺』を読む ――真の農学創造のために―― | 第1巻 | 古島敏雄 |
全集完結に当たって――私の農書論 | 第34巻 | 飯沼二郎 岡 光夫 山田龍雄 |
【地域農書】農書誕生 ――その背景と技術論 ―― | 第36巻 | 佐藤常雄 |
【農事日誌】野良着で書いた農事日誌 ――作りまわし・手まわし・世まわし ―― | 第42巻 | 徳永光俊 |
【特産】特産物列島日本の再発見 ――モノ・ヒト・情報の生かし方 ―― | 第45巻 | 佐藤常雄 |
【農産加工】近世経済を担った農産加工業 ――資源活用型の等身大技術 ―― | 第50巻 | 佐藤常雄 |
【園芸】近世園芸文化の発展 ――その背景と担い手たち ―― | 第54巻 | 君塚仁彦 |
【林業】近世の林業と山林書の成立 | 第56巻 | 加藤衛拡 |
【漁業】河海から見た日本の近世 ――潮・魚・浦 ―― | 第58巻 | 伊藤康宏 |
【畜産・獣医】近世日本の畜産と獣医術 ――独自な品種改良と漢方・蘭方の融合の曙 ―― | 第60巻 | 松尾信一 |
【農法普及】農法の改良・普及・受容 | 第61巻 | 徳永光俊 |
【農村振興】村の暮らしの立て直し ――荒廃の背景と農村・農民の対応 ―― | 第63巻 | 江藤彰彦 |
【開発と保全】日本の国土はいかに開発・保全されてきたか | 第64巻 | 佐藤常雄 |
【災害と復興】「大変」の構造 ――災害と近世社会 ―― | 第66巻 | 江藤彰彦 |
【本草・救荒】本草学の伝播・受容・活用 ――暮らしの側から見た本草学と救荒書 ―― | 第68巻 | 江藤彰彦 |
【学者の農書】近世農書における学藝 ――農の仕組みを解く ―― | 第69巻 | 徳永光俊 |