その昔、わらづとに入れた豆腐を運ぶ際、たまたまそれを煮てしまったことからつと豆腐ができた、といわれます。山間地域の会津では、保存のきく食材を上手に使って食卓を彩ってきました。つと豆腐もその一つで、生鮮食品である豆腐を煮ることで日持ちもし、かたくなり持ち運びに便利な上、煮くずれしにくくなります。ス……
豆腐をわらづとで包むのでつと豆腐といい、茨城町の冠婚葬祭の料理です。根菜類の煮しめとともに盛りつけ、もてなし料理のメインとして供されました。とくに、通夜のふるまいや忌中《きちゅう》料理には欠かせません。近所で不幸があると、隣組の年長の女性たちが集まってつくったものでした。正月のおせち用には各家で……
大阪府との県境にある紀の川市では、稲わらで巻いて煮たしめ豆腐がおせち料理の一品です。白い豆腐とにんじんの紅白が正月にふさわしく、一年を引き締めて暮らせるようにと、どこの家でもつくったものでした。しかし、わらが入手しにくくなり手間もかかるので、つくる家が少なくなっていました。 懐かしい味をもう一度……
稲わらをこも(むしろ)のようにして豆腐を包むのでこも豆腐と呼ばれます。倉吉市北谷《きただに》地区に昔から伝わる行事食で、つくられ始めたのは約100年前といわれています。祭りや正月、盆、法事や「なんぞごと(大勢のお客を迎えるとき)」に出されるさはち盛り(大皿盛り)の一品です。 昔はごちそうといえば……
県南西部の安中市にある磯部温泉の温泉水(鉱泉)を使う湯豆腐です。鉱泉で豆腐を煮るとプルプルとしたやさしい食感になります。これは鉱泉の成分が豆腐に作用するからです(下の囲み参照)。 群馬県では大麦の作入れ(間作《かんさく》)として大豆を栽培する農家が多く、よく家庭で豆腐がつくられていました。魚のと……
かための寒天寄せの中に、しっかりした食感の豆腐が入っています。甘い味つけで、県北の村上地域ではお茶請けや箸休めとして日常的に食べられている身近な料理です。昔は豆腐のカステラとも呼ばれて親しまれていました。海岸沿いではテングサがよくとれて寒天がつくられていたことと、田んぼの畔で大豆を育て豆腐をつく……
ずっしり、ぎっしりと詰まった食べごたえのある堅《かた》豆腐が主役の煮物です。浄土真宗の祖である親鸞聖人の法要「報恩講《ほうおんこう》」には欠かせない料理で、「殻しょ」とも書き五穀豊穣に感謝するものです。 山深い白山麓《はくさんろく》では焼畑で小麦、大麦、ひえ、粟、豆、芋などを栽培していました。冬……
県北部の北薩《ほくさつ》や姶良《あいら》地区などで、お盆につくられてきた煮物です。こつっ豆腐とは、大豆の粉でつくった豆腐のことです。天日でよく干した大豆を石臼で挽いて粉にして、水で練り耳たぶくらいのかたさになったところで竹の串に刺し、囲炉裏でこんがり色がつくまで焼いて、煮しめに使います。豆がぎゅ……
法事や葬式に欠かせない精進料理です。呼び方は「ひりょう」や「ひろうず」などさまざまですが、勝浦町では黒い漆器や陶器などの平たい器に盛ってお膳にのせるため、おひらと呼ばれています。 中に入れるにんじんや椎茸、きくらげは身近な食材。みかん栽培のさかんな勝浦町では、みかんの木を切ったあとに生えるきくら……
県中西部の四万十川《しまんとがわ》上流域の津野山郷(旧東津野村と梼原町)に伝わる保存食です。四国山地の急峻な山々に抱かれたこの地では、自給自足の生活が基本で、豆腐も各家でつくっていました。大豆は貴重だったため、豆腐はいつも食べられるものではなく、正月や神祭《じんさい》(神社のお祭り)、お盆などに……
大晦日の夜、大阪や奈良と接する県北東部の橋本市では、豆腐を炭火で焼き、ねぎ味噌をつけて焼いた豆腐焼きをつくります。しくじりや失敗を「みそがつく」ということから、「みそ」のつきおさめになるように、その年の「みそ」を食べきってしまおうと、家族で一年の無事を感謝しながら食べます。好きな人は、藪《やぶ》……