上新粉とかたくり粉をこねただけのだんごですが、ツルンとした歯切れのよさと弾力がくせになる食感です。噛むうちに米そのものの甘味が広がり、湧水で洗った冷たさがさわやかです。黒部の水と自慢の米でつくった夏のおやつです。 名水百選の一つ、「黒部川扇状地湧水群」がある黒部市生地《いくじ》には約750カ所も……
昔は家族が多かったので、たいていの家には大きな鉄鍋がありました。やきつけは、その鉄鍋いっぱいに丸く広げた生地を焼き、四角くもちのような形に切り分けてみんなで食べたものです。もちろん、丸くなった切れ端のところも一緒においしく食べました。農作業の合間のなか間(こぶれ、おやつ)として腹の足しにしたり、……
江戸時代より伝わる伊予松山藩の郷土菓子です。松山城城主の松平定行の父親である定勝が、ひな祭りにつくって家来たちに配り、さらに国が豊かに栄えるよう祝ったのが始まりといわれています。 しょうがと醤油の風味がきいているものの、ほんのり甘く、噛むともっちりした素朴な味わいのもちです。形も味も家ごとに工……
えがもち、花もちとも呼ばれる松江地域に伝わるひなの節句のお菓子です。月遅れの4月3日、女の子のいる家庭では家に代々伝わる素焼きの型を使っていがもちをつくり、神棚やおひな様の前にお供えし、初節句には近所に配りました。色とりどりのいがもちを飾ると子どもたちも喜び、こしあん入りのやわらかいもちを食べる……
島根県の柏もちはサルトリイバラの葉でつくります。山間部に多いサルトリイバラはつるにトゲがありサル除けとなっていたことから「サル捕りいばら」といわれていますが、県内各地ではいろいろな名前で呼ばれています。東部ではかたら、西部ではまき、隠岐ではかたりといい、柏もちもかたらもち、まき、かたりまんじと地……
「ごろし」とはなんとも物騒な名前で、真っ白い小麦粉のだご(だんご)が黒砂糖の色で殺されるからそう呼ばれ、また、五郎次という人がつくり始めたという説もあります。こねた小麦粉をひも状にのばしてゆでて、きな粉や黒蜜をかけたおやつで、農繁期の休憩時には、ゆでたての熱々を食べる習慣がありました。県南部の筑……
おもに五島列島を中心に県内でつくられてきた「かんころ」と呼ばれる干しいもを使ったもち(菓子)です。五島列島にさつまいもが伝わったのは、キリシタン農民が大村藩から移住し、栽培技術が伝わったためと考えられています。島は水はけのよい斜面の土地で、さつまいも栽培に適していたのです。そのいもを長期保存でき……
おくずかけ(お葛かけ)は、かたくり粉などのでんぷんでとろみをつけた具だくさんの汁物で、宮城県の代表的な郷土料理です。禅宗の普茶料理の「雲片《うんぺん》」(細かく切った野菜をくずでとじたもの)をまねたともいわれており、もともとは寺院で食べる精進料理でした。それが家庭に広まってお盆やお彼岸に食べるよ……
奈良市は奈良時代に平城宮が置かれた古都で、シルクロードの終着点として天平文化が花開いた地です。盆地に位置するため、夏と冬で気温差が激しく、夏は暑く冬は寒い気候です。 のっぺいは、12月7日に奈良の春日大社のおん祭りに食べられる、奈良市の代表的な行事食です。のっぺいと呼ばれる10㎝角の立方体の絹揚……
昔から冠婚葬祭のときによく出された料理で、長門市や萩市、山口市に伝わる伝統食です。「柏椀」と書いて「かしわん」と読む呼び名の由来は、地元で聞いてもわかりませんが、江戸時代の京阪では大型の汁椀のことを菓子椀と呼び、魚や鶏肉、野菜など具だくさんの汁ものを入れていたので、それに由来するのではないかと思……
長崎市は、江戸時代、外国への玄関口として発展してきた港湾都市です。材料を油で揚げる調理法が400年前にポルトガルから伝来し、天ぷらと称されるようになりました。長崎天ぷらは、江戸風、上方風の天ぷらとは違っているため、他国の人がそう名づけたという文献もあり、固有名詞となっています。卓袱《しっぽく》料……