ぶりは成長に従って呼び名が変わる出世魚です。縁起のよい魚で年取り用の高級魚として珍重され、かつて富山湾でとれたぶりは塩ぶりにして松本を経由し、木曽、諏訪、伊那方面へ運ばれました。安曇平はその流通経路にあたり、経済力のある家庭では暮れには塩ぶりを1尾購入しました。神棚に頭や尾を供え、神仏に一年の無……
米麹がたっぷり入った白味噌で仕立てた甘口の雑煮です。白味噌は熟成期間が短く、塩分量が少なく、日持ちのしない贅沢な食品でした。そのため、白味噌雑煮が食べられていたのは比較的裕福な家庭です。京都では、白味噌は雑煮の他にも和え物や魚の西京漬けなどの料理や、花びらもちなどの菓子にも使われてきました。 農……
府北部の丹後地域では、小豆雑煮や味噌雑煮(海藻入り、かぶ入りなど)で正月を祝います。小豆雑煮を食べる家庭の方がやや多いようです。元日に食べるか2日に食べるかは家庭によります。 小豆はその赤色が邪気を払う厄除けとされ、祝いのときの赤飯や正月の小豆雑煮などで大切に食べられてきました。自家で収穫した小……
博多は、もともとは商人の町です。江戸時代、黒田氏が現在の福岡市中央区に福岡城を築いた折に、城下町がある那珂川《なかがわ》の西側を「福岡」、東側を「博多」と呼び、福岡は武士の住む町、博多は商人の住む町とする大まかな住み分けが行なわれました。 この博多で生まれたのが博多雑煮です。だしを焼きあご(とび……
沖合を黒潮が流れる日向灘はかつおの宝庫で、深い入江をなす日向市細島は日向国一の港町として知られています。漁師たちはかつお一本釣り漁に出かけ、とれたての魚を細かく切って塩なますにして昼めしをとり、残った塩なますはご飯とこねておにぎりにして、動力船の熾火の灰の中で蒸し焼きにして持ち帰りました。このお……
臼杵《うすき》湾に面した臼杵市は、昔から新鮮な魚が手に入る地域です。大豆の生産もさかんで、冠婚葬祭や行事のたびに家庭で豆腐をつくっていました。そのときに出る「きらす(おから)」を使ったのがこの料理。魚をおろした後の中落ちや余った刺身の切れ端を醤油と酒で味つけし、それにきらすをまめして(混ぜて)つ……