「食・加工」通信 ◆2005年2月17日号
こだわりの食品企業から - 冬は酒造りに篭もる
- 好評「もろみ酢」
1.冬は酒造りに篭もる 各地の酒蔵では寒仕込みの最盛期を迎え,徹夜作業の蔵もあるようだ。昨年は台風の影響か山田錦なども品質がそろいにくく原料処理が難しいという声をきく。愛飲家にとっては『あらばしり』が楽しめる時期も近い。農文協では1992年に「小さな蔵の会」に集う各地の中小醸造家の酒造りを伝える『自然流「日本酒」読本』を刊行した。この「小さな蔵の会」の一つ岐阜県の大橋酒造の当主だった蒲(旧姓大橋)義尚さん(有限会社フューチャーズ21 蒲酒造場 酩酊館館長)に14年たった現在の蔵元について語っていただいた。 今から14年ほど前,農文協から『自然流「日本酒」読本』という本が出版されました。そのなかに出てくる小さな蔵のひとつが,私の実家である岐阜の笠置鶴大橋酒造です。 当時,この本の写真を担当したカメラマン北井一夫さんと著者の福田克彦さん(故人)から聞いた長野県の蔵元さんの話が,今でも心に残っています。 その蔵元の息子さんが大学終えて帰ってきて酒造りをやることになった。いいことだねと両氏ともよろこびながらその蔵元を訪ねた。東北出身の杜氏さんに,「よかったねえ杜氏さん,後継者ができて」と話したら,その杜氏さんは,意外にも「酒造りができるのかねえ」とやや浮かない顔つきだったというのです。複雑な心境だったのか。 その理由を考えてみるとこんなことかなと思いますね。つまり酒屋の当主が酒造りの精神や魂をもつことは素晴らしい。でも当主自らが冬場に酒造りに熱をいれていて,一番お酒が売れる時期に大事な販売活動をしなくていいのかということや,そんなに酒造りは甘いもんじゃないという杜氏としての自負や,それに自分が年をとってきたことなどが,こもごも胸に迫っての言葉ではなかったかと。あのときの杜氏さんが,今の清酒や蔵元の状況をみればどう考えられるでしょうか。 でも,この15年酒屋を経営してきたものの立場からいえば,その間に酒造りへの思い入れが,全体として後退しているような気がしてなりません。 今年,大橋酒造では,私の弟が社長をやっていますが,今期から自ら酒造りに励んでいます。一昨年のことですが,いままでお世話になった杜氏さんが事故でどうしても来られなくなってしまったのです。そのときの弟の決断が「自分で酒造りをする」ということでした。酒造りへの強い意識のあらわれでした。昨年は1カ月間,東京の醸造試験場で,酒造りの理論や方法を学んできました。そして今仕込みにはいっています。私も1週間ほど手伝っています。弟は「自分は酒造りが好きだ,酒造りが楽しい,その気持ちが美味しいお酒を醸し出せることにつながっているんだ」と言い切ります。 会社の大きさからいえば,当主自ら酒造りなどにかかわっていないで販売に精を出すべきだという考え方もあるかもしれません。ただね,何ゆえに醸造会社が苦境に陥ってしてしまったのかということです。15年前に,あの東北の杜氏さんがいっていたこと,つまり「酒屋の当主が酒造りの作業そのものに入れ込んでしまうことなく,なおかつ酒造りの精神と魂はきちんともちつづけること」。その精神,酒造りの魂が薄れたのではないのかということです。いまだからこそ,酒造りへの思いを深めるために,あえて「蔵元の当主自らが仕込みの場に立つことだ」といいたいのです。 弟はいま,自ら必死になって,美味い酒を造ろうとしている。美味い酒造りに入れ込んでいれば,その入れ込む気持ちを伝える努力をしていれば,必ずお客様に理解してもらえたはずなのに,その努力をしてこなかった。全国各地の杜氏さんたちも65才以上の方がほとんどになってきました。今こそ,酒屋の当主は杜氏さんの技を本当に教えていただき,自らの酒を醸し出すときがきたのではないでしょうか。 この20~30年の間,いつかは杜氏さんがこられない状況になるといわれ続けてきたのに,自ら酒造りをしようとは考えない酒屋が多すぎました。自分で造るからいろいろなことにこだわり,醸造のアイデアも生まれてくる。自分で醸し出すからこそ,本当にお米の大切さ,ありがたさがわかるのであって,ひとまかせ,杜氏まかせの今までの造り酒屋から脱皮するときがきていると思います。若い酒造家のみなさんに訴えたい。自ら酒造りに芽生えようよ,酒造りは甘いもんじゃないが,楽しいもんだよ。インターネットもあるのだから,販売はいろいろに手段はある。だからもう一度原点である酒造りにかかわろう,冬場は酒造りに篭りましょうとね。 ■『食品加工総覧』追録第1号の関連記事へのご案内 昨年刊行された『食品加工総覧』追録第1号には醸造業者に向けて「杜氏の技を引き継ぎ社員による酒造りへ」という記事が収録されている。執筆は,20年以上前から専門家の立場で,社員による酒造りを提唱し,実際にも社員による酒造りを指導されてきた埼玉県の大橋勝さん。現在OBTサービスという醸造コンサルタント事務所を主宰されている。この大橋さんの記事を読んだ先の蒲さんがおっしゃるには「ここにある資料はありそうで,なかなない資料だ」。同じ悩みをかかえる,中小醸造業の経営にあたっている方々には,ぜひご一読いただきたい記事だ。 「杜氏の技を引き継ぎ社員による酒造りへ」の内容 中小清酒製造業の現状/社員による酒造り/取組み方とコンセプト/酒造実施進行計画の実例(製造計画の立案,人員配置,設備の整備検討,社員の教育,作業標準の構築,酒造作業のマニュアル化など) なお本文中に参考資料として,1)社員による酒造コンセプト,2)社員による通年酒造計画の事例,3)酒母仕込み温度と水こうじ温度・蒸米温度との関係,4)もろみ仕込み温度と水こうじ温度・蒸米温度との関係,5)アルコール添加と日本酒度の動き,四段と日本酒度の動き,6)アンプル仕込みによる清酒製造週間作業スケジュール,7)快速速醸酒母による清酒製造週間作業スケジュール,8)曜日ごとのセクション別作業員の配置,9)もろみの品質管理指標 が収録されている。 2.好評「もろみ酢」 | 沖縄の「もろみ酢」の評判がよい。そのなかに含まれるクエン酸が注目されているからだ。クエン酸は抗酸化活性および活性酸素消去能をもっていることが明らかにされている。米からつくる蒸留酒の泡盛。その蒸留粕を濾過した「もろみ酢」はクエン酸含有量が高く,健康飲料「黒麹もろみ酢」として,ここ5~6年の間に注目度が急上昇した。 この「黒麹もろみ酢」の草分けが,沖縄県の石川酒造場社長の石川信夫さんだ。昨年刊行された「食品加工総覧追録第1号」には,もろみ酢の開発をめぐって石川社長自ら執筆いただいている。 石川酒造場では,沖縄復帰の翌年1973年に初めて『もろみ酸倍』という名で「もろみ酢」を売り出した。 泡盛を蒸留したあとの酒粕を沖縄では『カシジェー』と呼ぶ。昔から養豚の飼料とされ,カシジェーを与えた豚は食欲が出て肉質も赤身が多く上質のものになり,流行病にかかりにくくなるといわれていた。そのためか泡盛発祥の地といわれる首里三箇にあった酒蔵には,必ずその一角に豚舎があったという。また,琉球王朝の朝廷料理でもこのカシジェーを使った白身魚のかす和えである「カシジェーエー」が知られている。 カシジェーの香りに郷愁を感じ,味の良さも知っている石川社長は,このカシジェーを調味料としてなんとか利用する方法がないものかと考えた。なにしろカシジェーは泡盛の倍量作り出される。捨てておくのはもったいない。黒こうじ菌(泡盛菌)を使う泡盛の製造では,カシジェーも真黒いものになる。これを搾ってみると琥珀色になった。当初は健康飲料よりむしろ調味料としての利用の道を探ったが,クエン酸を主とするもろみ酢が,酢酸を主成分とするこれまでの食酢にどれだけ太刀打ちできるか不安もあった。そこで黒糖を加えて清涼飲料としての利用法も考えていくことにしたのである。この清涼飲料としての道が今日大きく開けてきたわけだ。当初は泡盛の蒸留残液を活用したものということもあったし,類似品もなかったので,値段のつけ方も迷ったという。 以来1998年までの26年間,唯一のもろみ酢製造元として販路拡大につとめてきた。唯一のといえば聞こえはいいが,要するにこの分野に参入しようという醸造元が現われなかったということで,じっと我慢しながら販路拡大につとめてきたのである。それがいま大きく花開いた。 石川社長は「もろみ酢」を特許登録しなかった。それは泡盛と同様に「もろみ酢」を「業界の宝」と考えていたからである。そのことが今日の「もろみ酢」の隆盛につながっている。 |