農業技術大系・畜産編 2010年版(追録第29号)


価格低迷,経費圧迫…今こそ「健全な飼育」で乗り切る!

 牛乳の消費が伸びない。肉も不況で売れない。飼料価格が落ち着いてきたとはいえ,高騰前の水準に戻ることなく,コスト削減も限界。このような先行き不安に対し,今回は畜産の基本に立ち返りたい。「健全・健康な飼育」は大失敗が防げる農家のリスクマネージメントともいえる。いわゆる「落ちない経営」で難局を乗り切りたい。

家畜を健全・健康に飼う

 乳用牛の人工授精受胎率は過去20年間,下がり続けており(図1),分娩間隔の延長による乳量の低迷が大きな問題になっている。この「繁殖性低下」の実態とともに,高泌乳化,発育速度の向上,牛体の大型化など生理的な要因,暑熱,寒冷,湿度,日照など環境面での要因,畜舎,飼養管理,発情観察,人工授精など人為的な要因を畜産草地研究所・平子誠氏が整理(第2-(1)巻)。

図1 種雄牛の品種別初回人工授精受胎率
((社)家畜改良事業団2008年調べ)

 このような繁殖問題も含めて,家畜の健全な飼育を多角的に追究していくのが「生産獣医療」である。獣医療というと治療行為が考えられがちだが,その手前で病気を出さないことに重きを置く(図2)。生産現場で起こっているさまざまな悪循環を断ち切り,改善していく筋道を岩手大学・岡田啓司氏が示す(第2-(1)巻)。

図2 泌乳中・後期に欲をだすと,繁殖不良の悪循環にはまってしまう

 図3は牛のツメと,それらの足の骨である。内側のツメが短くなっている左の足の骨は,末節骨の表面がゴツゴツし,こぶができ,中節骨に突起ができている。見た目に小さなツメの違いであるが,じつは骨に影響を及ぼすほどの大きな苦痛を牛に与えている。元日本大学・川路利和氏が牛の健康を保つ「削蹄」の意義と方法を解説(第2-(1)巻)。


図3 牛の後肢の蹄形と骨の状態――蹄の形は骨に大きく影響される
(1)末節骨(蹄骨),(2)遠位種子骨,(3)中節骨,(4)基節骨

 そのほか,デイリーアドバイザー・平井洋次氏の「飼料給与の改善」による乳牛の病気対策(第2-(1)巻),「カウコンフォート(快適性)」の向上について岡山県真庭農業普及指導センター・佐藤和久氏による実践を収録(第2-(1)巻)。

放牧で拡がる技術と経営

 健全・健康な飼育法の一つに放牧がある。

 公共牧場での肉用牛の「放牧育成」は,舎飼いに比べて増体重が劣るものの,肢蹄が強健で健康に育ち,長寿といわれている。子牛市場では体重が重いほど高値で取り引きされる傾向があるが,繁殖農家は生産費の低減,肥育農家は素牛価格の抑制によって,双方にメリットがある(表1)。青森県産業技術センター・石山治氏が実証(第3巻)。

表1 放牧育成による生産費と利益の計算(単位:円/頭)

 農家の事例で養豚は,「無畜舎・自然分娩」の母豚3頭で離島の耕作放棄地を農地に復元している山口県上関町・氏本長一氏,寒冷地にもかかわらず周年放牧で「雑穀との輪作」をし,食品残渣を主体とした発酵飼料で母豚12頭を飼養する北海道大樹町・古川行孝氏の実践(第4巻)。

 肉牛は,離島でリュウキュウチクやチガヤといった「土着の飼料資源」を活かし,繁殖牛80頭を飼育する鹿児島県三島村・日高郷士氏(第3巻),乳牛はフリーバーン牛舎と放牧地(中牧区)を「自由に行き来」できるようにしている経産48頭の北海道広尾町・小田治義氏(第2-(2)巻)。

地域にある飼料資源の活用

 放牧はコスト削減のみならず,大幅な省力をもたらす。飼料イネの「立毛放牧」は専用の収穫機を導入することなく,収穫・運搬・調製・給餌などの作業が省ける。中央農業総合研究センター・千田雅之氏が提唱する立毛放牧(第7巻「飼料イネおよびイネ発酵粗飼料を活用した和牛周年放牧モデル」参照)を,秋田県由利地域振興局・伊藤東子氏が実践報告(図4)(第7巻)。

図4 電線の下を深く潜って飼料イネを採食する牛

 あわせて飼料イネについては今回,中央農業総合研究センター・重田一人氏が飼料米を消化しやすくするための「破砕処理」,広島県立総合技術研究所・新出昭吾氏がイネWCSの「TMR体系」を執筆。また,同じく地域の自給粗飼料として「河川堤防刈り草」に着目した記事を愛知県畜産総合センター・柴田良一氏が執筆(第7巻)。

 いっぽう,食品残渣の飼料利用では飼料コストの低減や地域の有機物循環のみならず,プラスαの試みもある。茨城県県南農林事務所・坂代江氏が「納豆残渣」による子豚下痢抑制効果(図5),日本ケミカル工業・松下次男氏が「ミカン搾汁かす」を原料とした黒麹発酵飼料,畜産草地研究所・蔡義民氏が「野菜残渣」の硝酸性窒素を減らし牛の飼料にする試みを紹介(以上,第7巻)。

図5 子豚の下痢の発生状況

脂肪酸によるおいしさ評価

 近年,牛肉のおいしさについての研究が進み,とりわけ不飽和脂肪酸が注目されている。多価の不飽和脂肪酸であるリノール酸などが風味を落とすのに対し,1価の「オレイン酸」は風味を増す。そこで長野県では,従来の規格に新たな食味要素を加えた独自の基準を設定し,認定事業を進めている。長野県農政部・神田章氏が執筆(第3巻)。

 牛肉に続いて豚肉でも同様の研究が進み,食肉流通の現場では従来の目視による肉質評価に加え,脂肪の質の客観的な測定技術が求められている。宮崎大学・入江正和氏は,これを光学的手法で迅速かつ簡易に分析できる装置を開発(図6)(第4巻)。この「近赤外分光分析法」とともに脂肪酸以外の評価要素,品質向上技術も含めて解説(第4巻)。

図6 近赤外分光分析装置による肉の評価

 さらに牛乳でも脂肪酸は生乳の酸化や乳製品の軟らかさや口溶けに関係しており,その組成が注目されている。北海道大学・三谷朋弘氏が舎飼いと放牧で,季節と地域で比較(第2-(1)巻)。

 以上のような脂肪酸をめぐる評価技術は消費者への新しいアピール手法としても有望である。

畜産物のブランド化戦略

 銘柄鶏での個性的な展開も収録。わが国の種鶏(採卵鶏の親)は9割以上が海外由来であり,遺伝的多様性が大きく失われつつある。家畜改良センター岡崎牧場では横斑プリマスロックとロードアイランドレッドの交雑種「岡崎おうはん」を育成。純国産の卵肉兼用種として有望である。山本力也氏が紹介(第6巻)。

 また,鶏肉はもも肉が好まれるため,むね肉の価格を大幅に下げざるを得ない。ところが,このむね肉の成分組成が魚肉に似ている点に着目。これを鰹節のように加工して新たな販路開拓に結び付けるユニークな取組みが「阿波尾鶏」の削り節製造技術。徳島県畜産研究所・笠原猛氏が紹介(第6巻)。あわせて,秋田県畜産試験場・石塚条次氏はハーブ茶葉を利用した「比内地鶏」の抗生物質不使用飼育について紹介(第6巻)。

 農家の事例では,バーベキューマーケティング(図7)やネット販売で豚肉の販路を広げている神奈川県藤沢市・宮治勇輔氏(第4巻),精肉店と肥育牧場を直結した地元密着型の販売を進めてきた徳島県阿南市・延隆久氏(第3巻)を紹介。

図7 みやじ豚と地元野菜が堪能できるバーべキュー
広いハウスで都会にはないゆったりとした時間が流れる

 糞尿処理対策では,悪臭のもとであるアンモニアを吸引し,水に溶かしてリン酸や硫酸を加え,リン安液や硫安液にして肥料利用する「吸引通気式」堆肥化処理について畜産草地研究所・阿部佳之氏が執筆している(第8巻)。