羽後国亀田藩畑谷村の肝であった高野与次右衛門家の農事関係日記。種もみ量,苗数,雇い人への給米,相場などが詳細に記録され,高野家の地主手作り経営の実情をうかがえる。
著名な農書『農家捷径抄』を著わした下野国小貫村の名主・小貫家には,享保7年から弘化2年までの「農事帳」34点が残されている。本書は,その文政10(1827)年と11年のもの。
武蔵国赤尾村で代々,名主役を務めた林家13代の信海が記録したもの。克明な気候の記述のほか,使用人の農作業および行動の記録が多く,信海の人づかいのようすをよくうかがわせる。
越中国太田村の村役人を務めた金子半兵衛が記帳した日記。天候,家事,農作業,村仕事,親戚づきあい,下男の作業内容と休日,自らの俳諧を楽しむ暮らしぶりまで克明に記録している。
加賀国大聖寺藩の十村(大庄屋),精農家として活躍した鹿野家第8代小四郎が,主として作業内容と作業量を記したもの。鹿野家が熱心な地主手作り農家であったことがわかる。
奥三河津具村の農家・山崎譲平(医師でもある)が,自家の動向,使用人による農事,村内外の人々との往き来などを記したもの。安政3(1856)年当時,譲平は種痘を行なっていた。