へぼとは蜂の子、クロスズメバチなどの幼虫のことです。かつては山里の貴重なたんぱく質源でしたが、岐阜、長野の県境に近い山深い津具《つぐ》では、今も時期になると山にとりに行きます。このへぼとりには心躍る特別な魅力があり、巣を見つけること、調理して知り合いに配ることが楽しく、大の大人が喜び勇んで出かけ……
かつて八郎潟《はちろうがた》は琵琶湖に続く、日本で2番目の面積を誇る汽水湖で、漁獲量も豊富でした。よくとれる小魚は新鮮なうちにも食べましたが、塩辛や佃煮にして保存もしました。八郎潟町に嫁いだ方から当時の食事をうかがうと、白飯、味噌汁、雑魚《ざっこ》の煮つけ、おひたしが食卓を飾り、甘辛に仕上げた潟……
春、山に入ると、大きな木の陰にある山椒の若芽(葉)が目に飛びこんできます。この香りのよい若芽をそのまま煮た、春の香りと味わいを感じられる箸休めです。醤油で味をつけることもありますが、塩と酒だけでつくると山椒の香りそのものが楽しめます。 日光市の今市《いまいち》地区は標高500~700mに位置し、……
東京湾の最奥部、江戸川を隔てて東京都と接する市川市行徳《ぎょうとく》は、江戸時代には塩田が設置され、水上交通の要所でもありました。川と海に囲まれて環境がよく、のり、あさりがよくとれました。むきみ屋さんがあったり、あさりの串焼きも売っていたそうです。道路脇に貝殻の道ができるほど、あさりを食べていま……
東京湾ののりは「浅草のり」が知られていますが、大田区大森海岸でも昭和30年初め頃まで養殖場がありました。11月頃になると収穫が始まり、この時期に収穫された新のりは色、香りもよく、おつかいものとされました。初冬から冬にかけて収穫が続き、2月末頃には最盛期も過ぎ、町全体がなんとなく静かになったといい……
丹波には黒豆や栗など多くの名産がありますが山椒も有名で、丹波の大名たちは丹波焼きの山椒壺に生の山椒や塩漬けを詰めて将軍家へ献上したそうです。このあたりでは、江戸時代から県北部の但馬《たじま》(養父《やぶ》市)の棘《とげ》がなく実が大粒の朝倉山椒を導入して、栽培が広がりました。江戸時代中期の百科事……
県最南部の南部町は降水量が多く寒暖差が少ない温暖な気候で、しょうがの栽培に適しており、町の特産品になっています。とくに富沢地区は一年中雨が多くしょうががよくとれ、店では1㎏単位で売っているほどです。佃煮や天ぷらは秋に大量にとれるしょうがを薬味ではなく野菜として利用する、産地ならではの料理です。佃……
かつて、宮城県の稲作地帯では、田んぼにいるイナゴは貴重な栄養源でした。稲刈りの時期になると田んぼも乾くので、朝夕の涼しさで動きが鈍くなったイナゴをねらい、田んぼでつかまえては佃煮にします。大人たちは稲刈りで忙しかったので、イナゴとりは子どもやおばあさんたちの仕事。県北部の旧・古川市をはじめ県内各……
県内各地には湖魚《こぎょ》を煮つけて食べる習慣が根づいています。湖魚にはイサザ、モロコ、ゴリなどさまざまな魚がいますが、よく食べられているのが小鮎です。小鮎とは琵琶湖内で育った鮎のこと。普通、川で育った鮎は20㎝ほどになりますが、小鮎は成長しても10㎝ほどの大きさで、煮ると骨までやわらかく、丸ご……
京都でも新鮮な魚が手に入りにくかった地域の家庭では、小さないわしの丸干し、身欠きにしん、干し鱈、じゃこなどの干し魚を常備していました。この料理はじゃこと、どこの庭にもあった山椒の実を煮て、じゃこの臭みを除いた保存食です。春、たけのこの季節には山椒の葉を合わせ、その後に出てくる実で、じゃこを炊きま……
兵庫県の瀬戸内沿いの春の風物詩です。いかなごは「玉筋魚」と書きますが、地元では「春告魚」とも書きます。スズキ目イカナゴ科の魚で、かますに似ているのでかますごと呼ばれることもあり、関東ではこうなご(小女子)と呼ばれます。 毎年2月下旬頃から4月頃にかけていかなご漁が行なわれ、新子と呼ばれるその年に……
薩摩半島の西南端にある坊津《ぼうのつ》町で受け継がれてきた伝統的な保存食です。地元の人が発音すると「こぶっさっ」「こぶっしゃ」「こぶっしゃき」になります。かつおを炭火で焼いてから醤油と砂糖で何時間も煮る、時間と手間のかかる料理で、ハレの日には家長の嫁がひとりでつくるものでした。十分に火を入れてい……