記事ID | S200711_013 |
作品種別 | 食農教育 |
特集タイトル | 特集 水をどう教えるか? 用水・飲み水・めぐる水 |
上位サブタイトル | III 水はめぐる |
連載タイトル | |
記事タイトル | 『写真ものがたり 昭和の暮らし』より 写真でよみがえる 水と人とのつきあい方 |
下位サブタイトル | |
年・月 | 2007年11月号 |
開始ページ | 58 |
執筆者 | 編集部 |
執筆者所属 | 農文協 |
取材対象 | |
地域1 | |
地域2 | |
現地域 | |
見出し | |
キャプション | どこの学校にもプールができるのは昭和40年代以降で、それまで子どもたちは近くの川や用水路で泳いだ。両岸の土手に草のしげる用水路の水は自然のまま、水泳パンツもなかったので、子どもたちも自然のままの裸で泳いでいる。山から流れてくる水は意外なほど冷たく、それほど長くは泳いでいられなかった。長野県阿智村。昭和26(1951)年 撮影:熊谷元一/針金のたがのゆるんだ風呂おけに、小さなバケツで水を運び入れている。いったい何回運ぶといっぱいになるのだろう。長野県阿智村駒場。昭和25(1950)年 撮影:熊谷元一/洗った洗濯物をバケツに入れて運び、溜池ですすぎをする。近くの小川に行くこともあった。井戸のある家では、何度も水を汲みあげてすすいだ。最後に絞るのもまた力仕事だった。長野県阿智村駒場。昭和24(1949)年5月 撮影:熊谷元一/江戸時代の文化文政(1804~1830)に村のみんなでつくった用水路。山から引いているので落葉の量も多く、春の掃除は大変である。今はコンクリートにしたので少しは楽になったという。新潟県松之山町天水島。昭和55(1980)年 撮影:小見重義/大内の街道には堰があって、いつもきれいな水が流れている。それぞれの家では、自分の家の前の堰に段を設け、流れで洗い物ができるようにしてある。竹籠を背負った野良帰りの人が、洗い物をする人と話をしている。福島県下郷町大内。昭和44(1969)年8月 撮影:須藤功 |
記事区分 | |
親記事/かこみ | |
作目 | |
備考/キーワード | S200711_013 |
ページ数(ポイント数) | 4 |
©1996-2007 Rural Culture Association Japan. All Rights Reserved.