農業技術大系・作物編 2001年版(追録第23号)


●水田をめぐって,多面的利用,売れるムギ・ダイズづくり技術,水稲直播技術による荒廃地の防止,という3つの角度から厳選した情報をとり上げました

「ダイズ・ムギ本作」3年目,正念場を迎える。自由に流通できるメリットの半面,消費者にアピールできる品質・個性をもったものしか売れなくなる。今こそ,加工も含めた展開への展望のもとに,加工に適した品種選択,高品質生産,地域独自の個性が求められている。今追録は,水田を中心としたコメ+転作作物を,いかに有利に生産し,新しい地域展開に生かしていくかを追求しました。

▽黒ダイズの栽培と機能性の追跡

▽売れるムギの品種と取組み事例の充実

▽増加している水稲直播栽培の実践技術と9つの事例


ムギ・ダイズ本作 米もしっかり作って水田転換を地域つくりに生かす知恵と技術

〈ダイズ・ムギ本作のために〉

●高品位ダイズとしての「黒ダイズ」の新コーナー

 黒ダイズ栽培は‘丹波黒’など在来の品種だけでなく,改良された多くの品種が育成され,黒ダイズの栽培面積は急増している。栽培法も,伝統的な集約栽培管理だけでなく,省力栽培もとり入れられてきている。

 今追録では‘丹波黒’の本場,兵庫県での「セル育苗・機械移植栽培」を米谷正氏(兵庫県中央農技セ)にご紹介いただいた。トレイの穴数や根鉢をしっかりさせるための根鉢凝固剤など,最新の機械移植技術を詳述。精農家事例として,小西勇氏(兵庫県氷上郡・農家)の丹波黒大豆栽培技術を収録した(第6巻)。

 黒ダイズといえば,その機能性が注目されている(第6巻)。今追録で,健康に関する黒ダイズの秘めた力に科学の光を当てた(須田郁夫氏・九州沖縄農研セ,菊池佑二氏・食総研)。

●ダイズ病害虫最新情報

 ここ数年日本海側のダイズ地帯で問題になっている「莢先熟」(青立ち)と,北日本中心だった被害が北海道から本州全域にまで拡大してきた「わい化病」も含めた「ウイルス病」を収録(第6巻)。

 莢先熟とは,莢が黄色になって乾き,収穫適期なのに茎葉部は青々としたまま残ってしまう現象である。本来は始まるはずの老化現象の起動スイッチが,何らかの原因で入らなくなったということらしい。収穫すると茎の汁が豆に付着して汚粒となり品質を落とす。開花~結莢期の異常な低温や高温,この時期の干ばつや加湿,虫害などが莢先熟を引き起こす要因としてあげられている。発生には品種間差があり,一般に北方の品種を南方で栽培すると多発する傾向があるという。多発した品種を具体的に紹介しながら,この現象の原因と対策を追跡する(荻原均氏 東北農研セ)。

 ウイルス病のひとつであるわい化病は,主として北海道,東北太平洋沿岸部で多く発生し,その症状は3タイプに大別される。わい化型は「生育初期から葉が小型化するとともに節間が短くなって株全体がわい化し,やがて下葉に脈間黄化病徴」,縮葉型では「生育中期から葉がちりめん状に縮葉し,その後下葉から脈間黄化病徴」,黄化型は「生育中期~後期に株全体に脈間黄化病徴」といった病徴が現われる。発病すると莢つきがきわめて悪くなるほか,莢がついても十分に実らないため,激発するとほとんど収穫皆無になる。また,なんとか収穫までもちこたえても,未熟種子混入による品質低下をまねく。

 地域によってわい化病ウイルスを媒介するアブラムシの種類が異なり,北海道・青森県ではジャガイモヒゲナガアブラムシ,岩手県以南ではエンドウヒゲナガアブラムシとツメクサベニマルアブラムシである。これらのアブラムシは牧草地や畦畔のクローバ類で越冬し,永続伝播するから厄介である。薬剤による防除,耐病性品種についての情報を収録(御子柴義郎氏 畜産草地研究所)。

●ダイズ作基本技術の追跡

 昨年のダイズの改訂に続いて,「ダイズは地力消耗作物だ」と提起した有原丈二氏(作物研究所)に,ダイズの能力を発揮させるための土つくり方法についてまとめていただいた(第6巻)。水田転換畑でのイネの栽培様式(無代かき,部分耕起,不耕起,乾田直播など)や有機物投入と窒素肥沃度の関係について解析し,さらにダイズ作の栽培技術(播種方法,中耕培土など)も具体的に紹介している。また莢先熟については,「乾燥年での中耕・培土による断根での干ばつ害の助長」ではないかと指摘し,図のように,根を切らずに土壌通気性改善効果を引き出す,サブソイラーを利用した省力的方法を紹介している。

〈国産小麦フィーバーの兆し〉

●個性派品種を使いこなす

 12月1~2日,東京都新宿で行なわれた「地域が輝くいきいき食生活フェア2001」(農水省提唱,文部科学省・厚生労働省後援)で話題を呼んだものの一つに,国産小麦を材料に,世界遺産に指定された白神山地で採取した酵母(白神酵母)で発酵させたパンがあった。連日,並べる端から売れてしまい,数十分で品切れ状態。ソフトでモチモチ感があり,焼くときに漂う香りは最高であった。静かだが確実に国産小麦のファンは増えている。

 品種育成も,従来のうどん用だけでなく,パン用新品種も各地で登場してきた。今回の追録では,星野次汪氏(作物研究所)に加工適性からみた品種選択をまとめていただいた(第4巻)。個性を際だたせた品種紹介なので,生産・加工販売を考えている人には必見である。

●地域的な展開が始まった

 今追録で,ムギを核とした二つの地域事例を収録した(第4巻)。

 一つは,「コムギの栽培には無理」とされてきた中国地方の中山間で,‘イワイノダイチ’‘中国143号’を使って,凍霜害の回避と成熟期促進技術を駆使した二人の農家(広島県の山口誠氏,岡山県の田中省三氏)の栽培とその加工事例だ。農家と指導・研究機関,それに地元の加工業者が手をつないで,話題のポリフェノールたっぷりの個性的な「黒いうどん」が完成した。これまでマイナスイメージとされてきた国産麦の色の黒さを逆手にとった,実に痛快な取組み。

 もう一つは,大分県宇佐地域の取組み。農協と地元の加工メーカー,指導・研究機関が一体となったまさに産官共同研究によって,奨励品種の‘イチバンボシ’‘ニシノホシ’をつかった地域独自の味噌や麦焼酎が誕生した。三和酒類(株)からは地元産麦焼酎「西の星」の発売が始まり,好評を博している。

 農家・農協,加工メーカー,研究スタッフが手を結ぶことによって拓けていく国産麦の展開の好例である。

〈日本型水稲直播栽培の新たな展開〉

 水稲直播栽培が再び注目を集めている。いったんは7,200haまで栽培面積が激減した水稲直播だが,平成12年には1万haを超え,まだまだ増えそうである。従来の低コスト一本槍の考え方とはかなり異なった各地の取組みが魅力的だ。

 今追録では,長く直播栽培の研究・調査を続けてきた姫田正美氏(元東北農試)ほか,第一線の研究者によって,より実践的な技術として構成し直した。点播機など最新の播種機の情報も網羅したので,特徴や価格,自分の経営への適合性などを読みとっていただきたい(第2-(1)巻)。

 今回,新たに9つの水稲直播栽培事例(農家および集団)を収録した(第3巻)。それらの事例の特徴をまとめた一覧表(次頁)を作成したので,ぜひご覧いただきたい。集落営農,大規模家族経営農家,数戸の協業経営,複合経営への転換など,それぞれの展開方向にあわせた取組みがなされている。転作などによる野菜の導入と水稲作を両立させるための直播栽培,転作ダイズなどの加工を充実させるための直播栽培,畜産農家と提携した飼料イネ生産のための低コスト直播(乾物30円/kgを実現),冬季代かき不耕起直播,女性が主役となった水稲直播など,各地の普及センターの担当者の熱意と農家の想いが結びつき,それぞれユニークである。点播機の開発は,安定した収量をもたらし始めており,10a当たり720kgという多収事例も現われている。

 高齢化による荒廃地の増加を嘆いても仕方がない。直播などの新しい栽培技術の導入によって,地域は大きく変わっていくことが実感できる。

追録23号で収録した水稲直播栽培事例

取り組み

地域

直播様式

栽培面積(ha)

品種

収量(kg/10a)

特徴

当麻町直播研究会

北海道当麻町

乾田直播・湛水直播,無人ヘリ利用

23

ゆきまる

最高577kg(平10年)

高齢化が進み,担い手農家に集中しているため,春先の労働軽減のために平成2年にスタート。イネ単作での拡大,野菜作との複合経営へ。乾田+湛水(落水出芽による条播・無人ヘリ)を組み合わせ,複粒化種子にも挑戦中

矢久保 英吾

秋田県大潟村

点播による乾田直播

8.75

あきたこまち

最高720kg(平13年)

1粒の種子の力を最大に引き出す稲作としての直播追求。機械メーカーと組んで開発した点播機で,高品質安定多収の直播栽培をめざす。現在,不耕起直播も検討中。息子に経営移譲後には,浮いた労力で本格的なハウスイチゴ栽培へ

千葉 貞

宮城県田尻町

湛水条播

5.0

ササニシキ,ひとめぼれ,ほか

407~550kg(平13年)

高齢になっても一人でできる技術として,昭和58年に湛水直播を導入。田植機を改造した条播兼用播種機で機械代を抑え,多収よりも売れる米でなければとササニシキにこだわる

小岩井 實

埼玉県吉見町

湛水直播

4.8

コシヒカリ,あかね空,ほか

コシヒカリ503kg

吉見町湛直水稲栽培研究会会員。借地による規模拡大のために直播導入。種子コーティング機や播種機は共同利用してコスト低減。転作ダイズなどによる味噌加工などもとり入れて経営展開

(有)米工房いわむろ

新潟県岩室村

乾田直播

6.4

モーれつ

WCSイネ生草重3,300kg

耕畜連携による転作田への飼料イネ生産。発芽しやすいインディカ種‘モーれつ’を使って,ホールクロップサイレージに。最小限の機械投資で乾物30円/kgを実現

善久寺機械利用組合

新潟県栄町

湛水条播・落水出芽

15.1

コシヒカリ

513kg(平13年)

集落の圃場整備を機に,機械の共同購入と低コストをめざして設立。JAがコーティングと播種作業を受託して支援。組合員による株抜取り調査,生育診断,収量調査に取り組み,安定収量をめざす

棚田営農組合

富山県大門町

湛水条播・田干し

6.7

コシヒカリ

360kg(平12年・不作)

全戸参加の集落営農組合による直播の取組み。レーザーレベラーによる均平化と,コシヒカリでも倒伏に強くなる条播をとり入れ,きめ細かな水管理による鳥害防止と追肥によって安定化をめざす

なごや農協営農センター

愛知県名古屋市南陽地区

冬季代かき不耕起直播

105

コシヒカリ,あいちのかおり

コシヒカリ511kg,あいちのかおり550kg(いずれも平13年)

南陽町集団栽培推進委員会が核になって,冬の間に代かきを済ませ,春はそのまま愛知式不耕起播種機によって播種・施肥を同時に行なう独特の直播技術を普及。急激に作付けが増えている

松浦 愛子

愛媛県宇和町

打込み式湛水直播

8.5

コシヒカリ,あきたこまちなど7品種

全品種平均で約8俵弱

宇和町直播研究会副会長として,女性の立場からみた直播栽培のよさを訴える。JA育苗センターでの浸種・種子消毒,それに自動コーティングマシーン導入で播種精度を向上。倒伏に強くなる打込み式点播を導入し,圃場を団地化して7品種を効率的に栽培

注 すでに水稲直播栽培事例として,農事組合法人中甲(愛知県豊田市),及川正紀(岩手県水沢市),JAいいやまみゆき直播研究会播研究会(長野県飯山市),大森 恒(岡山県岡山市),塩坪貞雄(新潟県上越市),(財)鹿沼市農業公社(栃木県鹿沼市),定年退職者学頭営農組合(埼玉県加須市),農事組合法人大潟ナショナルカントリー(新潟県大潟町)が収録されています。あわせてご覧ください。
〈水田の多面的利用の新視点〉

●土木課の人からの電話

 ある県の土木課から「作物編」に対する問い合わせがあった。なんでも,第8巻「水田の多面的利用」巻で今回執筆をお願いした岩渕成紀氏(仙台市科学館)の講演がきっかけであった。岩渕氏は,冬期湛水水田を意識的に地域内につくりだすことによって,幼い頃の遊び場であった,生きものが豊かにすむ田園を蘇らせ,そこに渡り鳥をよびこみ,糞を肥料として利用し,有機農産物を安定して生産できる地域をつくりだしていこう,と呼びかけたのである。土木課の技師さんは,その話に感銘をうけたらしい。

 田畑から麦の姿が消え,冬期間カラカラに乾いた田んぼは確かにもの淋しい。しかし,水が湛えられ,渡り鳥が舞い降りる冬期水田風景が出現すると,都会の人々を惹きつける。それは,生命が豊かに息づいている空間に魅せられるからなのだろう。今,各地で,「田んぼはもっと楽しかったじゃないか」「子どもたちにそんな豊かな空間を残したい…」という,かつての大人たちの想いがうごめき始めた。

●イネつくりが変わり,豊かな農村空間が生まれる

 「冬期湛水水田」がイネの栽培を大きく変え始めた。落ち籾をついばむ鳥たちは当然のことながら糞をする。この糞には,世界的に枯渇し始めているリン酸肥料成分が大量に含まれている。もちろん窒素だってある。だから,それまで施していた化学肥料の量は減り,米ぬかなどを散布すれば無化学肥料も夢ではない。おまけに,米ぬかを散布した田んぼは冬の間にその表面が発酵し,雑草を抑制するトロトロ層をつくりだす。だから,自然と有機栽培の下地ができあがる。

 『作物編』第8巻「水田の多面的利用」にはすでに,石川県加賀市の「鴨池水田」の取組みが収録されている。地域に広がった冬季湛水水田は,加賀に「加賀のカモ米」ブランドを生みだした。

 こうした取組みのほかにも,荒れていく休耕田を,地域の子どもたちの思い出をつくるビオトープに変身させた例,水田雑草を退治するためのアイガモ稲作や,コイ・フナ放流稲作などなどが収録されている。収穫したお米そのものだけでなく,さまざまな食品加工品がうまれたり,農村レストランができたりする。赤や黒や紫などの古代米の色は,景観植物としても魅力的だし,新しい機能性をもった米加工品が生まれる。第8巻の事例は,水田を多面的に活用していくヒントに満ちている。

●新しい環境つくりの考え方“IBM”

 また,桐谷圭治氏(元農水省農環研特別研究員)は,害虫管理をベースにおいたIntegrated Pest Management(IPM,総合的害虫管理)をさらに進め,IBM(Integrated Biodiversity Management,総合的生物多様性管理)という概念を,水田生態系について提起している(第8巻)。IBMとは,水田生態系内のすべての生物との積極的な共存をもとめる考え方で,水田生態系を問題にしながらも,水田生物の行動を通して,畦畔,水路,ため池,休閑田,周辺農地,雑木林,遠隔地の越冬場所まで含めた管理方式を追求する。

 このIBMは今,新しい考え方として世界的に注目されつつある。豊かな地域の水田空間をつくりだしていく基礎理論として,大いに役立ててほしい。