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近世日本の地域づくり200のテーマ

衣食住文化の成熟

[103]和紙

 江戸時代になると紙の需要は急増します。それまでは公家や僧侶、武士たちの記録などに用途が限られていましたが、江戸時代は町人文化の時代といわれるように、紙の消費に膨大な数の町民が加わったのですから、その需要が飛躍的に伸びるのも当然でした。また、さまざまな技術開発も進み、紙の用途も拡大しそれも需要を伸ばす一因でした。とりわけ出版文化の発展は、紙の需要を大きく伸ばしました。中世末期のお 伽草紙 とぎぞうし から発展した浮世草紙が 元禄 げんろく 年間(一六八八〜一七〇四)に隆盛をきわめ、 洒落 しやれ 本、人情本、滑稽本、談義本、 黄表紙 きびようし などが流行し、京都に始まった出版業は江戸、大坂へと移るとともに、急テンポで発展して紙の需要を拡大させました。また、庶民の生活様式も変わり、障子、 ふすま 紙はもちろん、鼻紙やちり紙までもが生活必需品になりました。江戸時代後期の経世家、 佐藤信淵 さとうのぶひろ は「紙は一日もなくては叶わざる要物」と書いています。

◆専売制で生産、加工、流通を厳しく統制

 幕藩体制のもとでは、藩ごとの自給経済体制が基本でした。しかし、商品経済の急速な発展は、全国市場の形成を推し進めました。それが藩財政を圧迫したのです。そこで、各藩は特産物について専売制を敷き、商品の生産、加工、流通を厳しく統制して、財政を支えようとしました。専売制の対象は、米、塩、綿、蝋、紙などでした。紙は需要の急増を受けて有力な商品として、専売制の中で増産体制が取られました。

 紙を専売制に組み入れたのは、東日本では 水戸 みと (茨城県)、 大垣 おおがき (岐阜県)、福井など五藩に過ぎませんでしたが、西日本では中国、四国、九州に二十数藩もあり、それを反映してか、紙の生産は西日本中心に有力な産地が数多く形成されました。古代から紙の産地として知られた 美濃 みの (岐阜県南部)や 越前 えちぜん (福井県)は、高級紙をつくり続けたため生産量が少なかったのに対し、町人向けの半紙、半切紙などを主体に量産し、専売制を強く推進した中国、四国の諸藩の紙は急速に発展して大坂市場を圧倒する勢いを示しました。

 藩によって専売制の実施方法は異なりますが、割当量を必ず生産することを義務づける方法を 請紙 うけがみ 制といい、こうした強制をともなう専売制を実施した藩は、生産量を急速に拡大しました。その代表的な例は、 周防 すおう 国・ 長門 ながと 国(山口県)で、その政策のもとで生産された半紙は、大坂市場で高い評価を得ました。一方で、藩による厳しい統制は農民の反発も呼びました。とくに凶作や こうぞ 皮の減産などで、割当量がとても達成できそうにもないときに農民の怒りが爆発しました。紙 きは寒さの厳しい冬期に、そうでなくてもつらい上に割当量の重圧に苦しむのです。請紙制の厳しいところほどむしろ旗を立てての紙 一揆 いつき が多く発生したのが、この間の事情をよく物語っています。

◆流通機構の整備で庶民に紙がいき渡る

 江戸時代は大坂が「天下の台所」といわれて物資流通の中心地でしたが、紙もまた大坂を中心に流通しました。 正徳 しようとく 四年(一七一四)の大坂市場入荷商品のうち、紙は取扱高第一位でした。また、 元文 げんぶん 元年(一七三六)には、米、木材に次いで第三位になっています。

 西日本産の紙は大坂へ入荷しますが、藩の蔵屋敷と特約する紙問屋によって引き取られます。 文政 ぶんせい 七年(一八二四)には、江戸積問屋八人、問屋三十八人の計四十六人の問屋が数えられます。江戸には上方をしのぐ紙の需要があったので、紙問屋も急増しています。江戸の紙市場は、 武蔵 むさし 国(東京都、埼玉県)、 常陸 ひたち 国(茨城県)、 駿河 するが 国(静岡県)、 甲斐 かい 国(山梨県)、 信濃 しなの 国(長野県)、 磐城 いわき 国(福島県)などから直送されるものもありましたが、多くは大坂の江戸積問屋から廻送されました。江戸の人口は 元禄 げんろく 年間(一六八八〜一七〇四)にすでに百万人を超えていたといわれますが、その需要を背景に、 文政 ぶんせい 七年(一八二四)にはすでに六十一人の紙問屋がいました。

 このような大都市の紙問屋に出荷する各地の紙生産地には、当然のことながら有力な地方の紙問屋がありました。美濃国の 小森彦三郎 こもりひこさぶろう 長瀬 ながせ (美濃市)の 武井助 たけいすけ 右衛門 えもん 、越前国の 三田村 みたむら 和泉 いずみ 豊後 ぶんご 国(大分県)の 広瀬 ひろせ 家、 日向 ひゆうが 国(宮崎県)の 日高 ひだか 家などがその代表例です。流通機構がこのように整備されて、広く庶民にも紙がいき渡るようになったのです。

◆さまざまに加工された紙

 紙の需要は出版文化の発展につれて増大しましたが、出版物に使われたのは 奉書紙 ほうしよし 美濃紙 みのがみ 杉原紙 すぎはらがみ (もとは兵庫県の杉原で生産された)、半紙などですが、板紙も量産されました。 板紙 はんがみ とは「 板刻 はんこく 用の紙」を意味します。木版印刷に主として使われました。美濃国はその主産地の一つでしたが、書物用の紙の主流だったのです。和 とじ 本には奉書判、半紙判などがありますが、美濃判がもっとも普及していました。

 商人の帳簿もなくてはならないもので、最初半紙が使われていましたが、そのうちもっと良い紙質を求めて杉原紙、美濃紙などで大福帳がつくられるようになりました。江戸では武蔵国(埼玉県)産の細川紙、常陸国産の西の内紙が多く使われました。駿河国の 佐束 さずか 紙、 紀伊 きい 国(和歌山県)の大帳紙、伊予国の 泉貨 せんか 紙なども帳簿用でした。火災のときに井戸の中に吊るし、火事が沈下するとすぐに引き上げて、直ちに商いを再開しました。これらの紙は水につけても破れないので、墨書きの記録をそのまま保存できたからです。

 この他多様な加工紙もつくられました。萩風、 つい 立て、 ふすま 障子などは、もともと布を貼っていたものを紙で代用するようになりました。 合羽 かつぱ 、紙子、紙布、 紙帳 しちよう (紙の 蚊帳 かや )、紙 ぶすま (夜具)、 烏帽子 えぼし 、紙 元結 もとゆい いなどにも利用されました。皮の代わりに紙を使った煙草入れが考案されたり、袋物に紙を使用したりしました。加工技術も江戸時代には、目をみはるばかりに進んだのです。

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