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ナタネっておもしろい 教材研究してみませんか?●農産加工の専門家からみた、江戸の知恵のスゴサ
食農教育2003年9月号「江戸特集」の取材で、滋賀県・安土町のT商会という会社の社長さんにお会いした。その方は農産加工の小規模機械を農家や地域の実情に照らして注文をとり、メーカーにつくらせていて、地域づくり、食農教育にも熱心。江戸時代についても関心が高い。 農産加工に携わる人間として、社長さんは江戸時代のどこに着目しているかというと、素材の「前処理」だという。油を絞るにしても、絞り機に入れる前に、炒る、蒸す、たたく、にる、など、素材にあわせて微妙で複雑な前処理の工程があった。電力や油圧の力を借りれば簡単に絞ることができても、人間の力には限界がある。人の力でも搾り出せたのは、前処理の知恵と技術があったから。先人の知恵とはそういうこと。そこをちゃんと子どもたちが感じ取れるように工夫するのが食農教育を進めるうえで大事だ、と認識しているようだ。
●昔の搾油機を復元したが……
さて、社長さんは地域づくりの一環として、地域地域に粉屋と油屋を復活させたいと考える。少量の小麦や菜種を加工する機械をつくれないかと考えていたときに、隣の近江八幡市にある郷土資料館の菜種絞り機(大正期のものと思われる)を偶然みつけて、メーカーに復元させたそう。しかし、つばきは実が大きくて油をとれるが、ツブの細かい菜種はどうやってもでてこなかった。しょうがないから、圧力をかける部分の面 積を小さくして、約2倍の圧力にしたが、ほとんどでない。500gの油を電子レンジであたためてから圧ぺんしても、わずか80cc(16%)しかとれない。油圧式だと、573gから162cc(28.3%)とれたそうで、結局製品化をあきらめた。人力にはどうしても限界があることを痛感したそうだが、力に限界があるなら、と素材にあわせた巧みな前処理の知恵が昔はあったのだという(油圧式だと、圧力が強く熱が加わるからか、茶色がかった色になるが、人力だときれいな黄金色の油がでる。これも社長さんが人力にこだわった理由の一つ)。 そんなときに、学校で使いたいと、申し出てきたのが近江八幡市のS小学校の先生だった。 ●ナタネから地域の現実に出合うS小学校の実践は江戸をテーマにしているわけではないが、ナタネをとおして地域の生活文化にふれようとしたもの。 理科の時間に月2回行なっていた定点観測のさい、菜種畑を前にして、ある子が「これ油になるんやで」と発言。つぶしてみたら、ほんとに油がでたことに子どもたちが驚いた。これをきっかけに学習がはじまった。 地域の菜種刈りに協力し、種を分けてもらう。油工場を子どもたちがリサーチ。子ども祭りでの菜種油と菜種粕の販売などの活動を行なううちに、地域では菜種そのものを必要としているわけではなく、地域の祭りのさいの松明に使う菜種ガラがほしいがために栽培していることを知る。昔はたくさんつくられていたが、いまはつくってもお金にならないから種はいらない、という地域の現実に出合う。 ●『人づくり風土記』から教材としてのナタネを読むそこで編集部では、ちょっと強引ではあるが、ナタネをとおした江戸期の地域を学びながら、S小学校の子どもたちが現実の生活のありようを見つめ直していくような授業をご提案いただけないかと考えた。これまで積み重ねてきたナタネの実践をベースにしながら、あくまでS小学校の子どもたち、地域性にそくした江戸学習の授業提案をお願いしようと考えた。 執筆の参考にしていただきたい、と持参したのが、農文協の『人づくり風土記 滋賀県版』。この本には、琵琶湖の藻や浮き草を肥料として使い、使い切ったあとは、そこにたまった泥をすくいあげ、菜種のカラといっしょに積んでおいて、それが固まったらレンガくらいに小分けにして肥料としていた、という記述がある。これが琵琶湖の環境保全に結果的にはつながっていたそうで、そのあたりを参考にしていただくつもりだった。 ところが。東京へ帰って、大阪、奈良、兵庫の『人づくり風土記』を調べて、どのあたりが使えそうかを、こちらで整理してみると、ナタネのおもしろさはそれだけじゃないことがわかってきた。T商会の社長さんが言っていた前処理の工夫もバッチリ載っているではないか。 「絞る」「明かりを灯す」「油カスを使う」「油屋の復活」などなど、ナタネは教材として追究する切り口も実に豊富。『人づくり風土記』を参考にして、S小学校の先生に提案した内容を以下に貼り付けてみる。 ●S小学校への提案▼「絞る」……素材にあわせた前処理の工夫
T商会の社長さんも、油圧の搾油器でないとナタネはなかなかしぼれず、復元した機械の製品化を断念したそうです。そんな経験から、いかに前処理の役割が大きかったか、素材に合わせて細かく前処理の工夫を凝らしていた昔の人の知恵を学ぶことの大切さを強調されていました。これについて、『人づくり風土記 兵庫版』(p137)にわかりやすく書いてありました。<干す→炒る→粉末にして何度かふるいにかける→蒸篭で蒸す→蒸した粉を絞る→粕を碓で砕き再度絞る>と、たいへん細かい工程があったようです(複雑な前処理のあと、二度絞る)。自分たちの手で試行錯誤しながら絞ってみたS小の子どもたちは、これを知ったらどんな反応を示すでしょうか。 ちなみに、油垂口(あぶらたれぐち:ナタネ一石からどれくらい油が絞れるかの割合)は、当時一割七分から二割五、六分とありました(p119)。大阪がかなり高い技術をもっていて、粕を安く買い取って、さらに3度目絞って商売にしていたそうです。 ▼「明かりを灯す」……暮らしを豊かに
豆電球くらいの明るさとはいえ、夜なべ仕事をしながら一家で語り合ったり、本を読んだり演劇を楽しむことができるようになったことは、当時の人たちにとっては、革命的な暮らしの変化だったにちがいありません。埼玉県のある博物館では、実際に真っ暗の部屋に子どもたちをつれていって、まず行灯に火をつけ「これが江戸時代の明かりです」、次にランプに火をつけ「明治時代の明かり」、そして電気に火をつけ「現代の明かり」とするような、体験をさせているそうです。明かりがあるのとないのとでは、世界が一変するほどのことだということを子どもたちは体験して、遠くを見るようなぼんやりした顔つきになるといいます。 ▼「油カスを使う」……自然と人間の関係性の深まり
それだけなら、ただの昔体験に終わってしまいそうですが、ナタネを収穫して、油を絞り、油かすを畑に還元することを体験しておくと、自然とのかかわりにおける暮らしの豊かさを学ぶこともできるのではないでしょうか。「太陽の恵みを受けて台地でナタネが育ちます。そのナタネから絞られた種油は、お日様が沈んだあとの夜の世界を照らしてくれました。そして種油を絞ったあとの油かすは、ふたたび台地に戻されて作物に力を与えました」(奈良版p121)。このあたりの廃棄物をださない「つくりまわし」の工夫が、豊かさを求めることと裏腹の関係にあったことが江戸の特徴ではないでしょうか。ひるがえって、現代の生活を見直してみるのも面白いと思います。 さらに、S小学校区ではナタネのカラを一年の豊作を祈る祭りに欠かせない材料として人々が作り続けてきたこと、琵琶湖にたまった泥とあわせて肥料としていたこと(T商会さんは「スクモ」というおはぎくらいの大きさの塊をつくって干してあった、とおっしゃっていました)など、独特の地域資源活用術があったようです。 ▼「油屋の復活」……地域の自立
これも都市と農村の間での「まわし」でしょうか。奈良の今井と御所の町には絞油業者が14軒、高田と松山に各10軒、俵本と八木、五条に各7件と、各地の町場にたくさんの業者があって、周辺の農村からナタネが買い入れられ、種油と油かす、し尿などが農村へ還元されていたとそうです(奈良版p120)。T商会の社長さんは、地域づくりにも携わっているそうですが、そのさいに目指しているのが、地域地域に油屋と粉屋を復活させることだといいます。生産物を自前で加工する技術をもつことが地方の自立につながるとのことです。 ●教材をさがす(ナタネを学ぶ・体験する・広げる)ナタネの教材化にうってつけの資料はこちら→教材情報「ナタネ」 さて、どんな記事ができるのか。詳しくは8月12日発売の『食農教育 2003年9月号』をお楽しみに。 |