災害と復興2 大水記(武蔵)・水損難渋大平記(備中)・洪水心得方(備前)・享保十七壬子大変記(筑前)・年代記(陸奥)・凶年違作日記・附録(信濃)

口絵

大水記(武蔵)<おおみずき>

寛保2(1742)年,未曾有の大洪水が関東平野を襲ったとき,武蔵国川越藩領久下戸村の名主が,洪水による被害の状況,自ら行なった救済活動と藩からの褒賞,その活動から得た教訓などを克明に記録したもの。

水損難渋大平記(備中)<すいそんなんじゅうたいへいき>

嘉永3(1850)年,備中国高梁川左岸,軽部村の堤防が決壊した。その折の被害状況,藩庁や民間の救済のようす,復興へ向けての普請,年貢の見直し,水害に対する心得などを,和歌入りの独特の文章でつづっている。

水損難渋大平記(備中)<こうずいこころえかた>

高梁川の上流,軽部村で破堤した2日後,備前国児島郡粒浦新田は25日間冠水した。その折の村の被害と村人の活躍,藩の対応と村々からの援助,洪水時の心得などを細かく記し,子孫への教訓として書き残したもの。

享保十七壬子大変記(筑前)<きょうほうじゅうしちみずのえねたいへんき>

西日本を襲った虫害による飢饉を,福岡藩領志摩郡元岡村の大庄屋が記録。飢饉の経過,食用にした品々,藩の対策,「当郡の総人口は1万8,064人であった。そのうち3,800人が飢え死にした」ことなどを克明に伝える。

年代記(陸奥)<ねんだいき>

陸前国牡鹿郡真野村の肝煎が,天明3(1783)年の災害に触発され,先祖の覚書なども集めて書いた地域社会の災害史の覚書。天明の飢饉への対応,克服の努力,備荒作物などに言及し,災害史であるとともに出色の庶民記録ともなっている。

凶年違作日記・附録(信濃)<きょうねんいさくにっき・ふろく>

信濃国上伊那郡北大出村の名主が記した天保飢饉の記録。「天災による飢饉は,天が人間のおごりをいましめるために引き起こされる」との思いから,飢饉の恐ろしさ,困窮のようすと対策,わらや松皮の食べ方にまで及ぶ。