開発と保全1 当八重原新田開発曰書(信濃)・尾州入鹿御池開発記(尾張)・飯沼定式目録高帳(下総)・出羽国飽海郡遊左郷西浜植付縁起(羽前)・木庭停止論(対馬)

口絵

<開発と保全>総合解題 日本の国土はいかに開発・保全されてきたか

近世初期の大開発時代を経て、17世紀後半ともなると、国土開発は飽点に達し、日本列島におけるフロンティアは喪失した。開発至上主義農政から精農主義農政への転換が図られ、現代へつながる国土利用の原型ができた。

当八重原新田開発曰書(信濃)<とうやえはらしんでんかいはついわくがき>

八重原新田は,長野県佐久地方の4つの新田の1つで,黒沢加兵衛によって万治3(1660)年に完成された。著者は加兵衛の甥で,のちの水争いに備えて開発の経緯を克明に記したもの。

尾州入鹿御池開発記(尾張)<びしゅういるかおんいけかいはつき>

入鹿池は,濃尾平野東部の開発を目的に,入鹿村1村を水没させて,寛永10(1633)年に築造された。本書は,開発の経緯,取水口である圦の維持・管理,改修の費用・工法を詳述している。

飯沼定式目録高帳(下総)<いいぬまじょうしきもくろくたかちょう>

下総国飯沼(現茨城県南西部)の関係23か村は,「飯沼3,000町歩」といわれる美田をつくり上げた。本書は,普請方法,入用金,借入金の返済状況など,新田組合が確認しておくべき事項の覚書。

出羽国飽海郡遊左郷西浜植付縁起(羽前)<でわのくにあくみぐんゆざごうにしはまうえつけえんぎ>

飛砂に悩まされ続けた庄内平野西部の砂丘植林記録。著者の佐藤藤蔵は,砂丘への植付けを藩に願い出て許され,私財を投げ打って数万本の木を植え続け,ついに砂防林の育成に成功した。

木庭停止論(対馬)<こばていしろん>

対馬藩では,木庭(焼畑)の休閑年数が短くなり,土砂の流出が激しくなったため,木庭停止の指示を出した。本書はそれに対する賛否の意見を公平に公開し,著者・訥庵の見解を加えたもの。