17世紀以降、村々は疲弊・荒廃を深めていった。その荒廃現象の具体像とそれに対する農民の知恵・手法を示す。さらに農村振興の具体相を村自身、領主、指導者・老農の三者の立場から明らかにする。
信州佐久郡田村では,小百姓層が村役人層(上層農)に村政・村運営の民主化を突きつける「村方騒動」が続いていた。その要求は「儀定書」として藩役人の認知のもとに確認された。
下総国南生実村での農村復興策の実践記録。融通金を活用して土地を買い戻し,その管理は村で行ない,質入れ・譲渡などはしないことを規定。名主以下総勢83名が連署し,村の総意で作成した文書。
慢性的な疲弊に陥っていた駿河国駿東郡藤曲村は,村復興の手だてを二宮金次郎(尊徳)に願い出た。金次郎がそれに応えて,報徳仕法の原理を具体的に示した文書。一村仕法の模範として名高い。
二宮尊徳のもとで報徳仕法を学んだ安居院庄七による農村振興策の大きな特徴は,上方で吸収した正条植え,薄まき,直まき,客土,施肥など先進的な農業技術をともなっていたことである。
仕事割・仕業割は,暦日に割り当てた農作業の年間予定書きのこと。農民教導に活躍した大原幽学の指導のもとに作成され,農業に計画的・意識的・積極的に取り組むことが期待された。
秋田の老農・石川理紀之助が村の農民とともに開催した農業耕作会の記録。同会は会員相互間の資金と食料の融通組織であるとともに自主的な学習会,農事懇談会でもあった。