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…地域の歴史…
地域からみた江戸時代
 

交通

全国の街道整備

東海道・中山道などの街道をつくり、宿駅を設け輸送の料金を決めるなどの交通 整備も徳川家康が急いで始めたことのひとつ。江戸中心の交通・通信網をつくるいっぽう、 関所で通行人を監視するなど治安の意味ももっていた。

整えられた宿駅

宿駅は幕府の御用のために始まったが、多くの人と荷物が集まり、参勤交代の大名行列が通るために、しだいににぎやかな宿場町に発展した。一般の旅行者もふえ、旅籠・茶屋・酒屋などのサービス業も盛んになった。

物と文化を運んだ街道

大きな街道のほかに中小の街道がつくられた。これらは、例えば、農民が馬に荷物を載せて運び信州と東海地方を行き来した「中馬街道」、若狭の鯖を京都に運んだ「鯖街道」のように、産業と暮らしに重要な役割を果 たした。

門前町の賑わい

金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)の門前には、庶民の旅行ブームと参拝熱に応えて、宿屋・酒屋・茶屋などのほか、有名タレントも出る芝居・見世物などがたった。永平寺の門前には寺院建築のプロたちの村ができていた。このように、さまざまな素顔の門前町が発展。

在郷町の発展

農業生産が盛んになると、中心となる場所に町ができ流通の拠点となっていく。富山県礪波地域では藩と農民によって計画的に町づくりが行なわれ、群馬県桐生市は周辺の農村で養蚕・製糸が盛んになるにつれて、絹織物の町として発展した。

沿岸航路の整備

江戸へ物資を運ぶのに、はじめは大阪―江戸間に菱垣廻船、続いて樽廻船が活躍した。やがて、北海道・東北から日本海・瀬戸内海を通って大阪に至る西廻り航路、太平洋を通って江戸に入る東廻り航路が開かれ、大阪を中心とした海上交通網が完成した。

物流の大動脈、海上交通

船は大型で速く走れる弁財船が活躍。大阪などで生活用品を仕入れて東北・北海道で売り、帰りはニシン粕やコンブなどを仕入れて大阪に運ぶという商売で、日本の商品流通が大きく発展した。船が立ち寄る港もおおいに栄えた。

水上交通の発展

川の交通も欠かせなかった。山形では、幕府・藩の米や、特産の紅花などが最上川を船で川を下り、酒田港から海路、京大阪方面に送られた。江戸に各地の米などを運びこむのは、利根川→江戸川→小名木川→隅田川の水上ルートがメインだった。

山国と町をつないだ水運

江戸時代の人びとは、人や馬よりも荷物をたくさん積める船を、できるだけ川の上流まで通して運搬に利用してきた。山国からは木材や薪炭、紙、木の皮、山菜やきのこなどが積み出され、筏流しのスタート点は次第に上流へと上っていった。

市場と流通

幕府や藩の最大の資金源は米。米を中心とした産物を運ぶために海上交通が整備され、流通の中心地大阪には堂島米市場が起こり、全国の米相場に影響を与えた。大阪・江戸では魚や野菜の市場も活発になった。

運輸・通信

東海道など街道の宿場には荷物を運ぶ人と馬が置かれ、宿から宿へとリレー形式で輸送した。これが伝馬制度で、文書などを運ぶ飛脚も活躍した。海では廻船業が起こり日本経済の発展に大きな役割を果たした。

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