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…地域の歴史…
地域からみた江戸時代
 

鎖国政策 鎖国下の対外政策

鎖国の中の交流

長崎でのオランダ・中国との交易、対馬を通じての朝鮮との交流のほかに、沖縄琉球王朝は中国の支配下に入る形で貿易(進貢貿易)を続けており、北海道のアイヌは樺太アイヌ、さらにその先の沿海州方面の人びととも交易をしていた。

貿易

日本人の海外渡航を禁止し、貿易は長崎でオランダ・中国に限った鎖国政策。それでも輸入代金として大量 の金銀が国外へ出るのを防ぐために輸入制限が行なわれた。朝鮮とは友好関係を保ち、対馬藩を窓口に貿易と交流が続けられた。

朝鮮通信使

秀吉による朝鮮出兵で途絶えていた国交を家康が回復。将軍の代替わりに、朝鮮国王の信書を携えた使節団を受け入れてきた。一行が江戸まで旅する途中、日本の学者などが出迎えて文化交流。江戸では将軍謁見の儀式を中心に盛大な歓迎の宴が開かれた。

シーボルトと支倉常長

長崎のオランダ商館の医者シーボルトは、全国から来る熱心な弟子たちに教育しながら、日本の調査・情報収集を行なった。江戸時代初め、伊達政宗の親善使節、支倉常長はメキシコからスペインにわたりローマで法王にも謁見して帰国。

禁じられた信仰

豊臣秀吉による禁教令で、キリスト教の教会はすべて破壊、信者は拷問(ごうもん)で信仰を捨てるよう迫られた。島原・天草一揆の後、迫害はさらに厳しくなったが、心の中で信仰を続ける人も少なくなかった。鹿児島藩では、一向宗も禁止された。

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