福岡県の水炊きは、鶏ガラでスープをつくり、骨ごとぶつ切りにした鶏肉や内臓を季節の野菜とともにいただきます。もとは中国風の鶏肉の淡塩煮《たんしおに》であるとか、外国から伝わった洋風のスープであるといわれ、博多地区を本場として全国各地に普及しました。 福岡北部の筑前では黒田藩(福岡藩)が養鶏を奨励し……
壱岐は長崎県北部に位置し、福岡県と長崎県対馬市の中間に浮かぶ離島で、田んぼも多く米もよくとれ、漁場にも恵まれており、自給自足できる豊かな島です。昔のたんぱく質源はおもに魚でしたが、農家ではどの家も庭先で鶏を飼っており、肉といえば鶏でした。家で飼っていた廃鶏を利用して、盆、正月、祭り、共同作業のと……
対馬に古くから伝わる鍋料理です。メインに鶏肉か魚を使いますが、鶏肉を油で炒ってから煮ていたため「いりやき」と呼ばれるようになったという説があります。冠婚葬祭、各種の行事、来客の際にふるまわれ、とくに秋から冬の鍋料理です。昔は鶏をつぶして一日かけてじっくり煮こんだそうです。 いりやきには、味や歯ざ……
小麦粉をまぶした肉を麩や野菜と一緒に煮て、とろみがついたあんでうま味をとじこめ、具もだしも余さずいただきます。全体の味をひきしめるのは薬味のわさび。「じぶ椀」と呼ばれる蓋つきの浅い金沢漆器や輪島漆器に盛りつけます。もとは金沢の郷土料理ですが、今では全県に広がりました。 昔は秋冬に北から渡ってくる……
一般に「筑前煮」と呼ばれる煮物ですが、地元福岡では「がめ煮」といいます。昔、博多湾にはガメ(亀)が多く生息しており、このガメをぶつ切りにし季節の野菜と共に煮こんで食べていました。天神様(水鏡《すいきょう》天満宮)の氏子である博多の町民は、四つ足の獣を食べることができなかったためです。そのがめ煮が……
高知県では、肉と野菜を砂糖と醤油で甘辛く焼きつけた料理をすき焼きと呼びます。昔は地元の赤牛《あかうし》に限らず、猟でとれたうさぎ、きじなどでつくりました。青ねぎか葉にんにくをたっぷり入れるのが高知流。葉にんにくは球ではなく葉を食べる品種で、冬のすき焼きに欠かせないという人もいます。 昭和30年代……
戦国時代から続くキリシタンの里、長崎市浦上地区に伝わる南蛮渡来の料理で、ポルトガル人の宣教師が信徒たちに「肉を食べる」習慣を伝えるため、長崎人の口に合うよう豚肉を炒めて野菜と一緒に煮たといわれています。そぼろの由来には、おぼろより粗い“粗《そ》おぼろ”が詰まった、また外国語がなまった言葉との2説……
県北の山間の温泉地である奥津町では、春は山菜、夏は渓流魚、秋はきのこに冬はいのししや鹿と、四季を通じて山の恵みを食材にしてきました。昔は野うさぎや山鳥もとれたそうです。 しし鍋はぼたん鍋ともいい、鮮やかな肉の色や、それを皿に盛った様子をぼたんの花に見立てて古くから親しまれています。いのししがとれ……
ジビエ、野生の獣肉として注目されるいのしし肉は、昔から農作物を荒らす野獣として狩りの標的でした。中国山地が連なる県の東部から西部地域の山間部も例外ではなく、津和野藩ではいのしし1頭につき米3升を褒賞として与え、獲殺を奨励したといわれています。江戸時代は獣肉を食べることは禁忌だったので、「山くじら……
県南の山間部、那賀町《なかちょう》では味噌味で煮こんだしし鍋は冬のごちそうです。今は、人里に下りて田畑を荒らすいのししは害獣といわれますが、昔は山の恵みとされていました。 この地域では、昔は行商から買った海魚や、渓流で釣った川魚を食べることが多く、飼っていた鶏もたびたび食べられるものではありませ……
県北東部の登米《とめ》地域では、鶏のそっぷ(スープ)を使った甘くて具だくさんの茶碗蒸しが昔から正月の一番のごちそうでした。卵は貴重な食材で、子どもたちは家の鶏が産んだ卵を食べずに売っておこづかいを貯める「卵貯金」をしていたという話があるくらいです。 茶碗蒸しの卵液は、卵に対してスープの割合が多い……
「小田巻蒸し」とはうどんが入った茶碗蒸しのことです。「小田巻」の語源は苧環《おだまき》で、麻糸を中空の球状に巻きつけたものを指します。器の中のうどんの様子を苧環に見立て、この名がつきました。字が難しいので「小田巻」の字があてられたそうです。 昭和30年代前半は卵はまだまだ貴重で、病気見舞いに持っ……
ずっしり、ぎっしりと詰まった食べごたえのある堅《かた》豆腐が主役の煮物です。浄土真宗の祖である親鸞聖人の法要「報恩講《ほうおんこう》」には欠かせない料理で、「殻しょ」とも書き五穀豊穣に感謝するものです。 山深い白山麓《はくさんろく》では焼畑で小麦、大麦、ひえ、粟、豆、芋などを栽培していました。冬……
瀬戸内海に面する周南《しゅうなん》市の櫛ヶ浜地域に昔から伝わる料理です。法事や人が集まるときには、大鍋でつくっていました。彩りが美しく、甘酸っぱい炒り豆腐のようです。さっぱりとして冷やしてもおいしく、ご飯にかけて食べたりもします。 「つしま」の名は長崎の対馬藩に由来するといわれています。江戸時代……
法事や葬式に欠かせない精進料理です。呼び方は「ひりょう」や「ひろうず」などさまざまですが、勝浦町では黒い漆器や陶器などの平たい器に盛ってお膳にのせるため、おひらと呼ばれています。 中に入れるにんじんや椎茸、きくらげは身近な食材。みかん栽培のさかんな勝浦町では、みかんの木を切ったあとに生えるきくら……
福島県では、昔から凍み餅や凍み大根など冬の寒さを利用してさまざまな保存食がつくられてきました。凍み豆腐もその一つ。おもな生産地となっている福島市中央の立子山《たつごやま》には、冬場、奥羽山脈を越えて「吾妻《あづま》おろし」と呼ばれる強く冷たい風が吹きつけます。この寒風にさらしておくことで、中の水……
県のほぼ中央部に位置し、山々に囲まれた多可《たか》町は、昭和30年から40年頃までは天然の寒冷な気候を利用して高野豆腐(凍り豆腐)や凍りこんにゃくの製造がさかんでした。豆腐は一晩で凍らせた後、解凍し乾燥するのですが、そのために板にのせた豆腐が田んぼに並ぶ光景は冬の風物詩でした。冬季には但馬から豆……
県北部の北薩《ほくさつ》や姶良《あいら》地区などで、お盆につくられてきた煮物です。こつっ豆腐とは、大豆の粉でつくった豆腐のことです。天日でよく干した大豆を石臼で挽いて粉にして、水で練り耳たぶくらいのかたさになったところで竹の串に刺し、囲炉裏でこんがり色がつくまで焼いて、煮しめに使います。豆がぎゅ……
京都の惣菜は始末(素材を無駄なく利用する)の料理ともいわれ、おからの炊いたんは日常よくつくった料理のひとつです。安い食材であるおからと、家庭に常備してある乾物(干し椎茸、かんぴょう、ひじきなど)や旬の野菜を利用し、具の変化をつけることで季節を問わず食べられていました。とくに商家では、月末のやりく……
「からなます」とはおからのなますのこと。普段はおからと野菜と落花生を甘酢で和えたものでしたが、行事や祭りのときには奮発してマグロのなますが入っていました。甘酢でしめらせたさきいかを加えることもあったようです。 盛りつける際は、こんもりとうさぎのように形づくり、葉っぱの模様をつけます。うさぎは安産……
山地と平野の接する日高市では、里山の利用がさかんです。早春にはふきのとう、こごみ、せり、のびるなどの野草が芽吹き、低い山では、わらびやたけのこがとれ、旬の山野草を食材としてとり入れています。 山菜や野草は、野菜と違ってアクや苦味があるため、戦前は年間を通じて野菜がとれるこの地域では食べる人は少な……
県内には江戸時代から栽培されているという、太くて短い「どっこきゅうり」があり、大きいものでは約1㎏と一般的なきゅうりの10倍もの重さになることもあります。日持ちするので、明治時代には遠洋漁業の船に積む野菜として重宝されました。 どっこきゅうりの代表的な食べ方が、冬瓜のように煮たりあんかけにするこ……
現在も噴煙を上げる桜島で昔からつくられているのが、鹿児島で「島でこん」と呼ばれる桜島大根です。軽石などの火山礫が混ざった土壌ではイネや普通の野菜は育ちにくく、この大根だけがよく育ったそうです。 大きな姿からは想像しがたい繊細な味わいで、肉質は緻密で繊維質が少なく、煮物にすると箸ですぐ切れるほどや……
県内各地でつくられている凍み大根と里芋やにんじん、干し椎茸などの具材を一緒に炊いた煮しめです。凍み大根は、冬の寒さを利用してつくられる保存食で、真ん中に穴があいているものは、「へそ大根」や「ババべそ(おばあさんのへそ)」とも呼ばれます。輪切りにした大根はゆでてから真ん中に串やワラを通して軒下に1……
料理名の「かんぴょう」は干し大根のことです。この煮しめはかんぴょうと根菜類と油揚げやちくわを煮たおかずで、干し大根のかんぴょうは厚みがあって歯ごたえがよく、甘さもあり煮しめの味に深みを与えています。かんぴょうだけで煮しめることもあります。 ユウガオからつくるかんぴょうも巻きずしや昆布巻きに使いま……
五島列島の上五島でつくられている煮しめです。大きくて噛みごたえのある切り干し大根を使い、トビウオの焼き干しでしっかりとったあごだしで煮るのが特徴で、大きな鍋でたくさんつくります。日頃からよく食べる料理ですが、法事のときは必ず用意します。正月料理としても、ぶりの刺身、くじらの酢の物、豆ご飯とともに……
県南西部の内陸部にある都城《みやこのじょう》市で煮しめ(しめもん)は、普段のおかずにも食べますが、行事のときには必ずつくられる「おごちそう」です。干し椎茸や昆布、里芋、ごぼう、にんじん、干し大根などをやや甘めの味つけで、煮汁が残らないように煮含めます。根菜は箸で切れるほどやわらかく、味もよくしみ……
切り干し大根やこんにゃく、干し椎茸、干しぜんまいやにんじんなどのたっぷりの具材を使った久住地方の白和えで、昔から冠婚葬祭のおもてなし料理として正式なお膳には欠かさず出されてきました。大人数の来客用に一度につくるため、大きなすり鉢で2人から3人がかりで「そらやれ」「ホイホイ」「それそれそれ」とかけ……
県央地区は畑作地帯で、煮和えは地元でとれた野菜を使ってつくられてきた料理です。水戸藩のお膝元である茨城県は寺院や神社が多く、子安講《こやすこう》(関東地方で見られる既婚の女性が集まって安産祈願のために子安観音や地蔵をまつる講)などの集まりが多い地域でした。そのような子安講や人寄せのとき、煮和えは……
県最南部の南部町は降水量が多く寒暖差が少ない温暖な気候で、しょうがの栽培に適しており、町の特産品になっています。とくに富沢地区は一年中雨が多くしょうががよくとれ、店では1㎏単位で売っているほどです。佃煮や天ぷらは秋に大量にとれるしょうがを薬味ではなく野菜として利用する、産地ならではの料理です。佃……